雑記帖

浅草七福神めぐり~後編

さて、前日の混雑していたため仕切り直してお参りしたいと思います。今日もいい天気です。本日は⑥待乳山聖天⇒⑦今戸神社⇒⑧浅草神社⇒⑨浅草寺の順に巡りたいと思います。

この地図は距離感がしっかりしていて分かりやすいです。

⑥毘沙門天‥待乳山聖天(まつちやましょうでん)

昨日、今戸神社で断念しましたが、今日はその手前の待乳山聖天からスタートです。「待乳山」も「聖天」も知らないと読めませんね。こちらは「本龍院」というお寺で、601年の干ばつの際に歓喜天と十一面観音が安置されたそうです。浅草寺が建立される前ですね。提灯に大根が描かれていますが、左側の売店で大根が売っています(200円前後と思われる)。大根は体を清浄にする作用があり、歓喜天=聖天様の「おはたらき」をあらわすとのことですが、単純にお稲荷さん=油揚げの図式同様に考えることにします。1月7日には大根まつりがあってお供物の大根のお下がりがいただけるそうです。

まっさらな(願い事を書いたりしない)大根であれば持参してもOKです。

こちらは本堂内に上がれます。ご朱印も中に入っていただきます。

屋根の下の中央に大根の飾りがあります。

よく見ると、マスク着用のポスターにも大根のキャラクターが…。隣は巾着のようです。賽銭箱には巾着の紋章がありました。

こちらは大根と巾着を推しています!

帰り際に本堂の右側に行くと、「さくらレール」の案内があります。

おー、モノレール!

飛鳥山の"アスカルゴ"より小さいですが、冷房も付いてますよ!良いサービスです。四国の別格5番・大善寺にもモノレールがあったのを思い出しました。

ちょっとエレベーター的。

2人掛けで、総勢4人乗りでした。

やっぱりエレベーターかな。

待乳山はこのあたりでは珍しく高台になっているので足腰の弱い方は助かります。「待乳は、真土とも書き、この辺り一帯は泥海だったが、ここだけが真の土であったことから由来する(byウィキペディア)」

続けて使われることを期待しています。

⑦福禄寿(Ⅱ)‥今戸神社

今戸神社へは徒歩5分ほどですが、途中の山谷堀跡の遊歩道からはスカイツリーが望めるだけでなく、今戸焼のオブジェが置かれていてなかなか素敵です。

こちらは「福助」。他に「招き猫」「踊り雀」などがありました。

さあ、昨日の地点に戻りました。やはり、平日の午前中なので空いています。こちらは、1063年に源頼義・義家親子が奥州討伐の際に、京都の岩清水八幡宮を勧進したのが始まりとのことです。

沖田総司終焉の地でもあるそうです。

招き猫発祥ということになっているのは丸〆猫と呼ばれる猫の焼き物が今戸焼だったことが関係しているようです。

大きな猫が二体!

真偽は別としてこれだけいろいろと揃えられるとOKと言いたくなります。浅草サンバカーニバルも始めた時は「何だよそれは」って感じだったのが、もう40年も経つと伝統行事ですから…。猫のお寺も長く続けて下さい(私もネコ派です)!

そういえば「岩合光明の世界ネコ歩き」もこちらに出没していました。

そういえば、縁結びの関係か、ネコ好きの方なのか分からないですが、女性客が多いです。

それだけ霊験あらたかなのでしょうか…。

グッズもいろいろあり、混雑の理由もうなずけます。

ネコの他に、卯年にちなんでウサギも出没しています。

⑧恵比須‥浅草神社

さて、残すは浅草神社と浅草寺です。神仏分離前はご一緒だったので同じ敷地内でした。628年に漁師の檜前(ひのくま)浜成、竹成の兄弟が隅田川で漁をしていたところ仏像が網にかかったので、知り合いの土師真中知(はじのまなかち)に相談したところ聖観音であることがわかり、土師真中知が僧侶になったのが浅草寺の始まりです。浅草神社は土師中真知が亡くなった後にその子供の夢に観音様が現れて、中真知と檜前兄弟を祀るようにお告げがあったようです。そういえば、先日、三重県の津観音(三大観音のひとつ、あとは愛知・大須観音と浅草観音)に行きましたが、こちらでも漁師が聖観音を引き上げたという話がありました。そうそう引き上げられるモノではないので、それは話題になりますよね。

浅草寺の東側に位置しています。東側の二天門からすぐのところです。

こちらが社殿です。三網紋という紋章が見えますが、網で引き上げた点と、祀られている三名にちなんでいるようです。真ん中の大きな網が土師真中知で、右が兄の浜成、左が竹成となっていて、右(兄)が左より若干大きいという情報もありますが、同じ高さに見えますね…。

あまり見かけない紋章です。

社殿に向かって右側に庫裏がありますが、こちらに三社祭の御神輿が保管してあるのでしょうか。

三社とは、祀っている三名のことにちなんでいます。

社務所ではご朱印の受付に番号札を配っています。‥大きな寺社ではこの方式です。

人出が多い時は大変なんでしょう。

番号札はこのようなものです。三網紋が印字してあります。

石浜神社も行っていたかな。

お正月の風景を残す境内を後にして、最後の浅草寺に向かいましょう。

人力車の車夫は女性の方でした。

⑨大黒天‥浅草寺

さあ、大トリは浅草寺です。写真ではわかりませんが、外国人の方がかなりいらっしゃいました。やはり、東京の観光名所です!紋章の話のついでに、浅草寺の「山」のようなヤツは何かと確認したところ、こちらは「鎹(かすがい)山」という紋で、木材を繋ぐための金具で、だいぶ以前に「卍」を使用していた浅草寺は、つながりの深い上野寛永寺(輪王寺宮)と同じ紋章を使うようになったようです。やはり外国人が多い観光地であることからハーケンクロイツを想像させる「卍」は避けたようです。

子はかすがいの「かすがい」ですか!

つい本堂だけ参拝して、他には行かないことも多いですが、浅草寺にはいろいろなお堂や祠があります。本堂の西側に集まっています。

そのうちの恵日須・大黒天の祠。何せ浅草寺は大黒担当ですから…。

さて、ご朱印をいただきましょう。矢印に向かって歩くと影向堂という建物があって、こちらでいただけます。中には十二支の守り本尊8体と聖観音がお祀りされていました。こちらも色紙、朱印帖を渡して順番を待つ方式です。傘入れの鍵についている楕円形の札を渡されます。

ちなみに"回向"だと思っていた建物は"影向(ようごう)"でした。意味は、「神仏が一時姿を現す」という意味があるそうです。勉強になりました。("回向"は読経をして冥福を祈ることです)

七福神の旗は五色あったの?赤しか見なかった気がしたけど…。

実は、大黒様はさきほどの祠にいらっしゃるものと思っていましたが、影向堂の入って左側に像があったのです(撮影禁止)。忘れずにお参りしましょう⇒大きな寺社はいろいろあつてわからないことが多いですから…。

さて、無事にご朱印をいただきましたが、最後に浅草寺からの案内文が渡されました。要約すると「写経もせず、読経もしないで朱印集めをしている輩が多いが、『般若心経』or『観音経』を写経するか、仏前で読経したうえでご朱印をいただくように!」とのことでした。ありがたきお言葉!是非、坂東三十三観音でお邪魔する際には開経偈から唱えさせていただきます!

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