大善寺とは
「二ツ石大師略縁起」より
『昔、須崎の入海はきわめて広く、今の大師堂の地点は海に突き出た岬となっていた。ここにあった「波の二ツ石」と呼ばれた大きな波石は現在は土の中に埋まって見えなくなっている。当時山越しに行くのを常としたが、干潮のときはこの二ツ石岬の海を廻っていくことができた。ところが同地は波浪いつも岩をかみ「土佐の親不知」といわれ波にさらわれて海の藻屑となる者多く、そのうえ同地点は伊予石鎚山の末端に当たるので不浄のある者は、時々怪異に出会うといって恐れられた。
平安の初期、弘法大師は四国八十八カ所開創の折りここを通りかかり、そのことを聞いて海岸に立つ二つ岩の上で海難横死者の菩提のため、海上安全のために発願され祈願されたのが、今の大師堂開基の起源である。その後、「二ツ石のお大師さん」と誰いうとなくいわれ、今日に至っている。』
「大善寺略縁起」より
『南路志によれば、大善寺は八幡山明星院大善寺といい、和州長谷寺小池坊の末寺で弘法大師が開いたという。本尊は阿弥陀如来(現在不明)で、恵心作、宝永4年(1707年)までは須崎町古市町にあり、八幡神社の別当寺として寺運を続けていたが、津波に流されたため、古城山のふもとに移ったものらしい。
後に廃仏毀釈により廃寺(明治27年)となり、明治29年大師の霊跡を惜しむ里人の手で再興され現在地に移転し寺の再建を計って今日に至っている。~以下略』
元々あった「二ツ石大師堂」の上に廃寺となってしまった大善寺を再興したということのようです。
本尊‥弘法大師 (南無大師遍照金剛)
①大師堂
大師堂が一番下にあるのは、縁起にあるとおり、お寺よりも先に二ツ石の付近にあったからとの事です。たぶんもっと小さいお堂だったのかもしれませんね。
②二ツ石大師
本堂に向かう階段の途中にいらっしゃいます。
③ぼけ封じ観音像
二ツ石大師の右奥に位置します。
④本堂
他の寺社を考えると納経所の様だなどと言われそうですが、立地を考えるとよくぞ作ってくれたという感じがします。信仰のなせる業でしょうか。
⑤不動明王像、観音像等
⑥納経所、有善会館
この建物の1Fが納経所になっています。モノレール発着所にもなっていて、建物後ろにレールが見えています。
⑦モノレール
距離は短いとはいえ、モノレールがあるのはすごいですね。点検なども大変かと思われますが是非、足の悪い方などのために続けていただきたいものです。