寺院案内

35番・清瀧寺(きよたきじ)

2021年7月18日

清瀧寺について

養老7年(723年)に行基が薬師如来を彫り、寺を開基し、当時は、景山密院繹本寺と呼ばれていたそうです。その後、弘仁年間(810~823)に弘法大師が訪れ、修行を行い、満願の日に金剛杖で地面を突いたところ清水が滝のように湧き出でて、鏡の池ができたことから鏡池院清瀧寺へと改名したと伝えられています。

本尊‥薬師如来 (おん ころころ せんだり まとうぎ そわか)

①仁王門

八丁坂と呼ばれる坂を上った先の石段に現れます。明治期に造られ、組み物(屋根を支える頭に設ける部材の一群)はないが、龍の天井画が描かれていて土佐市の有形文化財に指定されている。

仁王像は少々疲れています(手が残念)。

どこから見ても龍と目が合うとのこと…。

②本堂

入母屋造に唐破風向拝と千鳥破風を合わせたダイナミックな造りです。

唐破風向拝・天井には丸い方角盤が付けられています。

引きの画では三角形の千鳥破風が目立ちます。左が薬師如来、大師堂です。

③大師堂

大きい唐破風向拝の大師堂です。

④厄除薬師如来

高さ15mの薬師如来は台座の胎内に入り108段を「戒壇巡り」することによって厄除けのご利益があります。

今回「戒壇巡り」はしませんでした。

⑤地蔵堂

簡素な造りの地蔵堂です。

⑥薬師堂

⑦入らず山

貞観3年(861年)に弘法大師の十大弟子の一人とされる真如(平城天皇の第3皇子・高岳親王が政変により仏門に入る)が唐に渡る前に清瀧寺を訪れ、この奥の丘に逆修塔(死後の冥福を祈るため生前に建てる石塔婆)を自ら建てたとのこと。真如はその翌年に唐から天竺に向かう途中で亡くなったとされています。今ではこの先は「入らず山」「入らずの森」などと呼ばれ聖域になっています。

⑧伊藤象岳大和尚寿像

⑨琴平神社

神社前の石碑に「寛文8年(1668年)に清瀧寺本堂が全焼した後、防火および寺社の発展を祈願して金比羅が勧進された」との案内書きがありました。神仏習合の歴史を感じます。

⑩手水舎・子育地頭

小さな祠に地蔵さんがおります。案内板では「子育地頭」となっていました。

⑪消防車

土佐市消防署で使用されていたポンプ車でしょうか。退役した後、万が一の時に備えているようです。

⑫本坊・納経所

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