繁多寺とは
住所‥愛媛県松山市畑寺町32 ☎089-975-0910
49番・浄土寺⇒(1.8km)⇒50番・繁多寺〔真言宗豊山派〕⇒(2.7km)⇒51番・石手寺
「ウィキペディアより」
松山市を見下ろす淡路ヶ峠の中腹にあり、山門の前や境内西側には溜め池があり、西側や南側への展望が素晴らしく、松山城や瀬戸内海までが俯瞰でき背後には鬱蒼とした樹木が繁る。境内周辺は景観樹林保護地域に指定されており、サクラ、藤、秋の紅葉の名所でもある。真言宗豊山派ということで青銅製の興教行大師像が大師堂の前にいる。
寺伝によれば天平勝宝年間、孝謙天皇の勅願により行基が開基し、孝謙天皇の勅願所となったという。その際行基が坐高三尺の如来像を彫り、本尊として、光明寺と号したが、弘仁年間に空海(弘法大師)が留まって修行し現存の山号、寺号である東山繁多寺に改称したという。
一時後衰退するが、源頼義により再興され、1279年(弘安2年)には後宇多天皇のために聞月上人が、祈祷を行なっている。また、一遍上人も当寺で学問修行したと伝えられる。上人は後に「捨聖」として遊行し、1288年(正応元年)亡き父である如仏を偲び三部経を奉納している。
1394年(応永元年)には京都泉涌寺26世快翁師が後小松天皇の命を受け繁多寺第7世の住職に就き、以降1681年〜1684年(天和年間)の寵湖など高僧が相継いで住職となるが、寵湖は徳川家の帰依を得ることとなり、4代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天を祀られることとなった。将軍家の帰依を得たことで寺は一時は隆盛をきわめ66坊と末寺100余という大寺となる。
本尊‥薬師如来(おん ころころ せんだりまとうぎ そわか)
詠歌‥よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ
①山門
②本堂
③大師堂
④毘沙門天堂
⑤歓喜天堂
⑥大師像
⑦大師坐像
⑧弁財天
⑨納経所・方丈
その他
・鐘堂
・本堂までのみち
・溜池を望む
・ストリートビューによる境内の様子(360度)