雑記帖

「一陽来復」or「一陽来福」~節分&立春です!

2月3日は旧暦の"大晦日"にあたる"節分"、翌日の"新年"が"立春"です。四柱推命や九星気学などの東洋占星術の新年の始まりは旧暦の"新年"="立春"からということなっています。そんな、暦の区切りの時にだけ頒布されるお守りがあります。それが、早稲田の「穴八幡宮」と「放生寺」のそれぞれのお守り「一陽来復」と「一陽来福」です。

大晦日明けの0時に貼った「穴八幡宮」の「一陽来復」。スリムで厚みがある。

「一陽来復」は"冬"が終わって"春"が来ることを表す言葉で、東洋占星術のでは"陰"の気が極まって"陽"の気に還る事を言うそうです。という事は、ある区切りから良い事がめぐって来る事を願うお守りとでも言えばいいのでしょうか…。こうした由来から、お守りを貼り替えるべき日が三日設定されました。まず①日照時間が短く極まった"冬至"、そして②旧暦で暦が極まった"節分"、最後は③"②"の新暦版の"大晦日"です。この三日のうちのどこか一日の最後(夜中午前0時)に、新しい年の恵方の方角に向けて柱などにお守りを貼るのです。ただし、頒布されるのは①~③の期間の開いている時間であれば手に入れられます。

節分に購入した「放生寺」の「一陽来福」。ちょっと大きくて平たい。

「一陽来復」と「一陽来福」ですが、神社とお寺…。そう、「こんぴらさん」のところでも触れましたが、こちらの神社とお寺も江戸時代までは「放生寺」が別当寺の「穴八幡宮」だったのです。「一陽来復」といえば「穴八幡宮」のイメージが強いのですが、元をたどれば一緒なのですね(穴八幡だけに「同じ穴の貉」という訳ではないですが…)。こちらの両寺社は同じ区画に存在できているのは不幸中の幸いのように思います。

実は、我が家では祖父頃から、大晦日には「穴八幡宮」にお参りして「一陽来復」のお守りを購入し、神社のはす向かいにあった蕎麦屋「三朝庵」で融通そばを年越しそばとして食べるのが習わしだったことがあります。ちなみに融通そばは、「穴八幡宮」の金銀融通の御利益にあやかり、ゆづ(ゆうずう)の皮が入ったものでした。今でも我が家の分は大晦日に購入して、紅白歌合戦の終わった後の0時に貼り替えを行っています。

「穴八幡宮」入口の鳥居。

随身門。

本殿。

そして、去年、穴八幡の隣の放生寺で「一陽来福」のお守りを頒布しているということが分かったので、自分用に節分に購入して、期間は違うのですがダブルでの効能を試しております(おいおい、ダブル除菌の洗剤じゃないぞ、とお叱りを受けそう…)。実際、両寺社のお守りを購入して縦に貼り付ける方もいらっしゃるようです。

法生寺の入口。

参道。

本堂。ご本尊は聖観世音菩薩。

恵方に向けて立てられた茅の輪くぐり。

どちらの寺社のお守りにも均等に福があるとありがたい限りです。

(おわり)

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