岩本寺とは
「ウィキペディアより」
寺伝によれば天平年間(729- 749年)に聖武天皇の勅命を受け行基が七難即滅・七福即生を祈念して開創したのが起源であるという。それは現在地より北西約2kmの仁井田川のほとりで、仁井田明神のあったことから当時は「仁井田七福」、別名「七福寺」とよばれた。その後、弘仁年間(810 - 824年)に弘法大師が五社・五寺からなる福円満寺を増築し、東から、東大宮が不動明王、今大神には清浄観音菩薩、中宮が阿弥陀如来、西大宮が薬師如来、聖宮が将軍地蔵菩薩とそれぞれ本尊を安置し、星供の秘法を修したという。こうして「仁井田五社十二福寺」と称し嵯峨天皇の勅願所となり栄え、別当寺の福円満寺が札所であった。
天正年間(1573年 - 1592年)に兵火によって焼失するが、時の足摺山主・尊快親王が弟子の尊信に命じて再興した。
一方、岩本寺は、町中にあり福円満寺から足摺へ向かう途中の宿坊であった。中世末に一宿した尊海親王がこの宿坊に岩本坊の名を与え繁盛した。1652年から1688年の間に衰退した福円満寺から別当が移り、岩本寺と改称し、納経は「五社大明神 別當岩本寺」と記帳された。
明治初期には神仏分離により仁井田五社の5つの仏像は岩本寺に移されたが、しばらくして、仏像と札所権は八幡浜の吉蔵寺に移る。しかし、明治22年(1889年)岩本寺は復興して仏像と札所権を取り戻し、現在に至る。
岩本寺には四国88カ所中、唯一5つのご本尊を安置しているので、ご真言を5つ唱える必要があります。
本尊‥不動明王‥のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ うんたらた
かんまん
聖観世音菩薩‥おん あろりきゃ そわか
阿弥陀如来 ‥おん あみりたていせい からうん
薬師如来 ‥おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
地蔵菩薩 ‥おん かかか びさんまえい そわか
①仁王門
写真のとおり、英語圏の方大歓迎です。
②本堂
本堂は昭和53年(1978年)に建立され、その際に全国から公募した575枚の絵が天井を彩っています。
③大師堂
凝った作りではありませんが良い佇まいの大師堂。
④大師像
鐘楼の手前にいらっしゃいます。境内は英語が書かれていたり、石畳のに色が施されて非常にポップになっています。
⑤歓喜天堂
円形の珍しい建物です。頭が象、体が人間の形をした大歓喜自在天(聖天)がご本尊。商売繁盛、夫婦円満等ご利益があるそうです。