寺院案内

71番・弥谷寺(いやだにじ)

2021年11月21日

弥谷寺とは

住所‥香川県三豊市三野町大見乙70 ☎0875-72-3446

70番・本山寺⇒(11.8km)⇒71番・弥谷寺〔真言宗善通寺派〕⇒(11.8km)⇒72番・曼荼羅寺

「ウィキペディアより」

弥谷山(標高382m)の中腹225m辺りに本堂があり、その背後の岩盤には創建時に千手佛が納められた岩穴が残り、山全体が霊山であるとの信仰があり、日本三大霊場(他は恐山・臼杵磨崖仏)の一つに数えられたといわれる。

寺伝によれば、聖武天皇の勅願により行基が堂宇を建立し、光明皇后の菩提を弔うため、大方広仏華厳経(伝・光明皇后書写)を祀り、寺院を創建したとされる。当初は中国、四国の八国が眺められたことにちなみ蓮華山八国寺と称したという。また、空海(弘法大師)は7 - 12歳の期間、当寺にある岩窟である獅子之岩屋で学問に励んだという。

807年(大同2年)、唐より帰国後の空海は当地を再び訪問し獅子之岩屋にて護摩を修し千座満願のとき蔵王権現のお告げにより千手観音を安置し、唐から持ち帰った金銅四天王五鈷鈴と五柄の剣を納め、山号を剣五山、仏の住む山である弥山から仏の谷という意味とされる弥谷に改めたと伝わる。

室町時代には天霧城主・香川氏の庇護を受け、東院・西院・中尊院と6坊を備えて大寺になっていたが、天正期に兵火により荒廃し、現在の中尊院のみが存続、のち丸亀藩主京極氏の帰依により1600年(慶長5年)復興された。

また、縁起によると「此岩窟大師四十二歳ノ契天下泰平五穀豊壌或ハ四十二歳厄除衆生ヲ救為千座之護摩修行シ跡伝ワレリ」とあり、これを聞いた後の住持が大師堂再建の折に弘法大師42歳の姿を刻み、奥之院本尊として厄除大師を祀ったといわれ、その後(焼失・盗難を恐れたなど諸説あり)、岩屋の中に石仏の厄除大師像・佐伯善通卿像・玉寄御前像を建立し、それまで祀っていた木像を秘仏としたことから、石造と木造の2体の厄除大師像が祀られている。また、澄禅の『四国遍路日記』(承応2年・1653年)には、木像がお祀りされていると記述され、寂本の『四国遍禮霊場記』(元禄2年・1689年)には、「いにしヘは木像にてありけるを石にて改め作り奉る」と記されている。今は大師堂厨子内に安置されているその秘仏の木造厄除弘法大師像が元禄2年以来320年ぶりに、同時に江戸期以来300年ぶりに本堂に安置されていた伝持の大師像が2014年開帳された。その際、金銅四天王五鈷鈴(重文)も公開された。

本尊‥千手観世音菩薩(おん ばさら たらま きりく)

詠歌‥悪人と行き連れなむも弥谷寺 ただかりそめもよき友ぞよき

①仁王門

②金剛拳菩薩

元禄時代建立の約6mの立像。

③百八階段

案内板に108の意味が書かれていました。①煩悩を落とす。②一年を意味する。〔月(12)∔二十四節季(24)∔七十二候(72)〕③四苦八苦を落とす。〔4×9∔8×9〕

④多宝塔

⑤大師像

⑥十王堂

⑦観音堂

⑧岩窟護摩堂

⑨薬師堂

⑩崖摩仏(阿弥陀三尊)

阿弥陀如来の両脇に観音菩薩と勢至菩薩が彫られており、像の両脇に「南無阿弥陀佛」と陰刻された、六字の名号が九行あるとのこと。

⑪本堂

岩壁ギリギリに建てられた本堂。

本堂からの景色(曇っているため遠望が利かず)

⑫大師堂

下足して堂内にて参拝する。「獅子の岩屋」「洞地蔵」も堂内での参拝となる。

⑬獅子の岩屋

大師堂内、秘仏木造大師像の厨子の後ろに、獅子の岩屋がある。弘法大師、父君、母君、不動明王、毘沙門天のほか崖摩仏が祀られている。

⑭洞地蔵

大師堂の背後の斜面の上10mに鎮座している。

その他

・鐘楼

・稲荷社‥薬師堂の下に建つ。(モノレールが敷設されてしまい行き来しにくそう)

・丸亀城主報恩塔‥本堂横。

・ストリートビューによる境内(本堂)の様子(360度)

-寺院案内

© 2024 ひかり たび Powered by AFFINGER5