八栗寺とは
「ウィキペディアより」
四国85番霊場とともに、歓喜天霊場として知られ、木食以空が東福門院から賜った伝・弘法大師作の歓喜天が祀られていて「八栗の聖天さん」と呼ばれる。 寺伝によれば空海(弘法大師)がここで虚空蔵求聞持法を修めた際、五本の剣が天から降り蔵王権現が現れて、この地が霊地であることを告げた。空海は降ってきた剣を中獄に埋め、岩盤に丈六の大日如来の像を刻んで山の鎮護とし五剣山と名づけ天長6年(829年)開基したという。
五剣山頂上は眺望が良く八つの国が見えたので、「八国寺」ともいわれた。唐から帰朝後、空海は再訪し唐に渡る前に入唐求法の前効を試みるため、植えておいた焼き栗八つがみな成長し繁殖しているのを見て八国寺を「八栗寺」に改めた。
天正の兵火で全焼したが、文禄年中(1593-96年)に無辺上人が本堂を再建した。さらに寛永19年(1642年)高松藩主松平頼重が現在の本堂を再建して、聖観音を本尊とし観自在院と称するようになる。なお棟札によると二天門と本堂は三代藩主松平頼豊が宝永6年(1709年)再建とあるが、宝永3年(1706年)五剣山のうち東峰が崩壊する大地震が影響していると思われる。
本尊‥聖観世音菩薩(おん あろりきゃ そわか)
①お迎え大師
②鳥居・石柱
③二天門
④護摩堂・納経所
⑤聖天堂(歓喜天堂)
⑥十一面観音
⑦本堂
⑧聖観音・随求菩薩
⑨地蔵堂
⑩大師堂
⑪多宝塔
⑫本坊
その他
・木食以空上人
・十二支守本尊
・鐘楼