寺院案内

39番・延光寺(えんこうじ)

2021年8月13日

延光寺とは

住所‥高知県宿毛市平田町中山390 ☎0880-66-0225

38番・金剛福寺⇒(53.9km)⇒39番・延光寺〔真言宗智山派〕⇒(27.2km)⇒40番・観自在寺

「ウィキペディアより」

寺伝によれば聖武天皇の勅命によって神亀元年(724年)に行基が薬師如来を刻んで本尊とし、本坊ほか12坊を建立、当初は亀鶴山施薬院宝光寺と称したという。その後桓武天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)が来錫して再興、脇侍の日光・月光菩薩を刻んで安置、本堂脇に眼病に霊験のある「目洗い井戸」を掘ったといわれる。

伝説によれば延喜11年(911年)赤い亀が境内にある池からいなくなったが、やがて銅の梵鐘を背負って竜宮城から戻ってきた。そこで現在の山号、寺号に改めたという。

1579年 長曽我部元親は、支配した讃岐の金毘羅大権現(松尾寺金光院)を「四国鎮撫の総本山」とするべく当寺の坊の一つである南光院の院主を呼び寄せ名を宥厳と改名させ院主とした。その後、豊臣秀吉に敗れた長宗我部元親が高知に退却後の1600年には、宥厳を呼び戻し当寺の住職に据えた。宥厳は自分が持っていた南光院を奥之院とし、当寺は修験兼帯の真言寺とする。当寺は長宗我部家の後ろ盾もあり繁栄し、1651年に当寺から独立した南光院も隆盛したが、長宗我部家が滅亡し山内藩となると南光院は次第にその勢力を失っていき当寺も衰退した。

明治初年の廃仏毀釈の影響で当寺は一時期廃寺となるも、ほどなく再興された。

本尊‥薬師如来(おん ころころ せんだり まとうぎ そわか)

詠歌‥南無薬師諸病悉除(しつじょ)の願こめて 詣るわが身を助けましませ

①仁王門

単層の門ですが、龍の表情などが非常に印象に残ったので、他の寺院より多めに撮影してしまいました。

②本堂

入母屋造りで落ち着きのある本堂。

③大師堂

宝形造りの大師堂。

④目洗い井戸

弘法大師が錫杖で地面を突いて湧き出させた霊水。眼病にご利益があるとされている。(コロナ禍で利用ができませんでした)

⑤赤亀

赤海亀が竜宮城から梵鐘を背負ってやって来た伝説が残っており、「延喜十一年」が刻まれた実物の鐘は大切に保管されているとのこと。

⑥大師像

⑦納経所

本堂方面からは左手奥に位置している。

その他

・ストリートビューによる境内の様子(360度)

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