寺院案内

33番・雪蹊寺(せっけいじ)

雪蹊寺とは

住所‥高知県高知市長浜857-3 ☎088-837-2233

32番・禅師峰寺⇒(8.1km)⇒33番・雪蹊寺〔臨在宗妙心寺派〕⇒(9.8km)⇒34番・種間寺

「ウィキペディアより」

寺伝によれば空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。

『土佐国編年紀事略』には嘉禄元年(1225年)、右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。天正16年(1588年)の長浜地検帳には「慶雲寺」とあり、この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。

寺に伝わる毘沙門天および両脇侍像は、毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、高福寺創建の嘉禄元年(1225年)頃の作と推定されている。ただし、湛慶作の仏像が都から遠く離れた土佐に伝わった経緯は定かでない。鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して「慶運寺」と改めたという伝承もある。

その後、寺運が衰え、廃寺となっていたが、天正年間(1573年 - 1593年)の後期に月峰和尚が住職となり、土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。慶長4年(1599年)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から「雪蹊寺」と称した。

江戸時代初期には「南学発祥の道場」といわれ天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍、野中兼山などの儒学者を生み出した。

明治時代になると廃仏毀釈により明治3年(1870年)廃寺となり、翌年、後方に隣接して当寺所蔵の長宗我部元親坐像を神体とした秦神社が建立された。その後、大玄和尚により復興した。なお、明治12年(1879年)に再興されるまで納経は、31番竹林寺で「高福寺」の名でされていたという。

本尊‥薬師如来(おん ころころ せんだりまとうぎ そわか)

詠歌‥旅の道うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明の月

①石柱

②本堂

③大師堂

④馬頭観音堂

⑤稲荷

⑥安産子安地蔵

⑦大師像

⑧納経所、客殿

その他

・ストリートビューによる境内の様子(360度)

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