吉祥寺とは
住所‥愛媛県西条市氷見乙1048 ☎0897-57-8863
62番・宝寿寺⇒(1.5km)⇒63番・吉祥寺〔真言宗東寺派〕⇒(3.4km)⇒64番・前神寺
「ウィキペディアより」
寺伝によれば弘仁年間(810年-823年)に空海(弘法大師)が光を放つ檜から毘沙門天・吉祥天・善賦師童子を刻み、安置したのが起源といわれる。
そのころの寺は、坂元山(現在地より南へ約2kmほど登った標高368m地点[1] )にあり、塔頭を21坊も有するようになっていたが、豊臣秀吉の四国征伐の際に全山焼失した。詳しくは1585年(天正13年)に小早川隆景が高尾城を攻めたとき、その山中にあった当寺も兵に放火された。本尊は助けだされ麓の大師堂のあったところに移されていたが、万治2年(1659年)に塔頭の檜木寺(かいぼくでら)と合併して現在の地に再建された。
昭和51年(1976年)、当時の住職が発起して周辺の札所にて「四国東予七福神霊場」を開創した。
なお、インドのVaiśravaṇaにあたる尊格は、日本では漢訳経典(不空訳『毘沙門天王経』など)に基づき「毘沙門天」と表記するのが普通だが、当寺では「毘沙聞天」の字をあてている。
本尊‥毘沙門天(おん べいしら まんだや そわか)
詠歌‥身の中(うち)の悪しき悲報を打ちすてて みな吉祥を 望み祈れ
①山門
②本堂
③大師堂
左が大師堂。
④納経所・庫裏
データ無し。悪しからず。
⑤八角堂
⑥お迎え大師・くぐり吉祥天女
その他
・成就石‥本堂から目をつぶって願い事を念じながら近づいて、金剛杖を30cmぐらいの穴に通せれば願いがかなう。
データ無し。悪しからず。
・ストリートビューによる境内の様子(360度)