寺院案内

58番・仙遊寺(せんゆうじ)

2021年10月8日

仙遊寺とは

住所‥愛媛県今治市玉川町別所甲483 ☎0898-55-2141

57番・栄福寺⇒(2.5km)⇒58番・仙遊寺〔高野山真言宗〕⇒(6.2km)⇒59番・国分寺

「ウィキペディアより」

標高312mの作礼山の8合目辺りにあるが境内まで昭和時代中頃にできた登山車道により階段を上ることなく境内に行け、山上ゆえ近郊の札所では唯一今治市街から瀬戸内海まで見渡せ、登山車道の脇には桜、ツツジ、石楠花、紫陽花、紅葉など季節おりおりの花々が楽しめる。天然温泉と精進料理の宿坊を備え、1月第2日曜日には「厄飛ばし柴燈大護摩」があり、8月9日の直近日曜日には四万六千日大法会として夏祭りがある。小山田住職は霊場の世界遺産化の推進に熱心で、四国の札所では珍しく本尊と大師像を通年公開している。

天智天皇(在位661年〜672年)の勅願によって伊予の大守越智守興(おちもりおき)が堂宇を建立した。本尊の千手観世音菩薩は海から上がってきた竜女が一刀三礼して彫ったという言い伝えがある。このことから「作礼山」が山号になった。また、40年にわたって伽藍を整備した阿坊仙人という僧が当寺に暮らしていたが養老2年(718年)に雲と遊ぶかのように突然姿を消してしまったことが「仙遊寺」の由来になっているという。

空海(弘法大師)が四国巡錫の折に当寺で修法を行ったとき、病に苦しむ人々を救済しようと井戸を掘り、また荒廃していた伽藍を修復し再興、興隆したとされる。

江戸時代に荒廃してしまったが、明治初期に宥蓮(ゆうれん)上人が再興した。宥蓮上人は明治4年日本最後の即身成仏として入定していて、当寺に供養塔がある。

昭和22年(1947年)に山火事に遭い全山消失により仙遊寺文書も焼失、だが、本尊と大師像は難を逃れる。昭和28年(1953年)に本堂は昔の姿のまま再建、大師堂は昭和33年に再建される。

本尊‥千手観音菩薩(おん ばさら たらま きりく)

詠歌‥たちよりて作礼(されい)の堂にやすみつつ 六字を唱え経を読むべし

①仁王門

②阿坊仙人像

養老2年(718年)まで40年間、諸堂を整え修行をしていたが忽然と消えたとされる阿坊仙人の像。

③大師御加持水

大師が錫杖で掘ったとされる井戸は多くの人を諸病から救ったとされている。

④大師像(四国八十八カ所御砂踏)

四国八十八カ所のご本尊が囲んでいる。

⑤本堂・納経所

昭和28年(1953年)再建。

⑥子安観音

⑦大師堂

その他

・仁王門からは数多くの仏像が立ち並んでいる。

・不動明王像

・手水舎より千体地蔵

・ストリートビューによる境内の様子(360度)

-寺院案内

© 2024 ひかり たび Powered by AFFINGER5