延命寺とは
住所‥愛媛県今治市阿方甲636 ☎0898-22-5696
53番・圓明寺⇒(34.9km)⇒54番・延命寺〔真言宗豊山派〕⇒(3.7km)⇒55番・南光坊
「ウィキペディアより」
寺伝によれば、聖武天皇の勅願を受けて養老4年(720年)行基が不動明王を刻み現在地の北の近見山(標高243.5m)の山頂に堂宇を建立して開基。弘仁年間(810年〜824年)には空海(弘法大師)が嵯峨天皇の勅命によって再興し、不動院圓明寺と名付けたという。
凝然国師供養塔(中央)左端は庄屋越智孫兵衛の墓、右端は真念の遍路石
かつては谷々に百坊を有し信仰と学問の中心であった。鎌倉時代文永5年(1268年)には著書の多いこと日本一で学問は内外に通じ、深く後宇多天皇の尊崇を受け、生前に国師の号を賜ったほどの学僧凝然(示観国師)がこの寺の西谷の坊で八宗綱要を著したことは有名で、当寺境内に供養塔がある。
しかし、再三戦火に焼かれて境内を移転し、享保12年(1727年)に現在の地に移転した。その時期に当寺の庭園を造園した際に植木として植えられたというツブラジイが現存している。
明治初年の頃、神仏分離令で四国遍路は神社に参拝することがなくなり、本札所の大山祇神社を四国遍路としては参拝しなくなり大三島に渡らなくなって、かがり火(円い明かり)としての円明寺の意味合いがなくなり、また、53番54番と同名の札所が続く混乱を避けるため、当寺は通称の延命寺を寺号とした。
境内には馬酔木(あせび)の木が多く、春の彼岸のころから美しい花をつける。桜やつつじも多く植栽され、花の寺としても知られている。また、真念の道標(みちしるべ)で最古とされるものが残されている。
本尊‥不動明王(のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん)
詠歌‥くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
①仁王門
②山門
かつての今治城の城門の一つ。今治城が廃城になった際に譲り受けたもの。
③本堂
昭和3年に移転・新築された本堂。
④大師堂
⑤行基供養塔
⑥不動明王像
⑦水子地蔵
⑧納経所
⑨薬師堂
⑩鐘楼(近見三郎)
初代の近見太郎は、長宗我部の兵士が略奪したところ鐘が「いぬる(帰る)」と泣き始めて自ら海に沈んだという逸話がある。通常はこちらの鐘が使用されている。
⑪鐘楼(近見二郎)
今治市指定文化財。除夜の鐘の時に音色を聞くことができる。
その他
・庄屋越智孫兵衛供養塔‥享保年間に年貢に苦しむ農民を救済した人物。8月7日に供養祭あり。
・休憩小屋‥納経所の正面に建つ。
・ディスプレイ‥コロナ禍のためか未稼働。
・坂村真民‥「念ずれば花ひらく」⇒太山寺の駐車場にもありました…。
・ストリートビューによる境内の様子(360度)