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今日は、大洲市の北西に位置する別格7番・出石寺(しゅっせきじ)まで片道12.6kmを往復します。途中から山道の部分を多く通って、最終的には標高812mまで登ることになります。早く帰って来られたら、大洲市内を観光したいと思います。
ここのところ、雨のマークが出ていても降ることがなかったのですが、山岳札所を訪れる今日に限って、朝から雨が降っています(泣)。
出石寺に向かいます!
路面を見てお分かりのとおり小雨の中、7:10に出発します。
肱川橋が架け替え工事中なので、お城の方角の展望が良くないです。
橋を渡ると右側に大洲市役所が見えてきました。左側はNTT西日本です。右(西側)に曲がります。
県道234号を進みます。
この先の左右に堀か何かがあったのでしょうか。堤になっている箇所から先は道が広々としています。
市内の循環バスはこの2つ先の「市立大洲病院」まで出ていますが、1日5、6本なのが残念です。
市立大洲病院の手前にあるローソンが最後の商店になるので、山登り用に「練り梅」などを調達しておきます。
市立大洲病院を通過します。
道沿いに養殖の池があるのかと思えば、何とゴルフ場です。愛媛、香川にはよくあるタイプらしく、この後何ヶ所か見ることになります。東京にあったら爽快かもしれません!
「出石寺」右折の案内が見えてきました。
予讃線・伊予平野駅の手前でまた右に曲がります。
曲がってすぐの奥まったところに平野公民館がありました。
玄関横の「平野マップ」には出石寺は右上に表示されていました(すみません切れました)。このマップでは「土井」から「山桃」へ行く道に入って、後は山道を辿るようです。
この後、沼田川に沿って歩きます。
道路情報がありましたが、ALL DAYS 落石注意が出ているのではないのでしょうか。
この先、ときわ旅館のご主人から「橋を2回渡った所で右に曲がる」と言われていた、1つ目の橋を越えました。
さあ、2つ目の橋が見えて来ました。
2つのへんろみちの案内板があります。右が「地蔵道」、真っすぐ行って途中で右に曲がる方を「瀬田道」と言うそうです。今回は「地蔵道」です。
曲がってすぐ、小屋が見えました。手前の看板が上を指していたので左の斜面を登ってみましたが、これは間違えでした。8:30に登り始めます。
今のところ舗装した林道の登りなので問題ありません。
徐々に傾斜が増しています。
山道に入ります。8:45。
草刈りバサミのお接待があるとは聞いていましたが、残念ながらハサミがありません。
途中、倒木や竹林の荒れたところがありますが、道はヤブでおおわれている訳ではないので
5分もしない道標に草刈りバサミがありました!帰りに元の位置に戻しましょう。
ここからの道は、山道ですが、昔は車が通っていたようで、右側の法面が整備されているようです。
次の写真のように石垣が積んであるところもあります。
方向を変えて登ります。8:58。
すぐに草刈りバサミPART2がありましたが、道はプッシュではないのでスルーします。
この区間は道が瘦せているところがあり、気をつけないと谷側の足を持っていかれるので注意が必要です。
また、雨の場合は水たまりも多い所でした。
時折、林道に出るのです。ここは右手の斜面を登るようです。
石垣があります。
墓地なので石垣で整備されていたのですね。
元土佐国中村城主・一条兼定が長宗我部氏に追われた際に一時この地に住んでいたとの案内がありました。祖先は四万十市で大文字山の送り火を始めた一条教房ですね。9:13。
先に進むと、感じの違う山道になりました。
15分ほど進むと道は広くなっています。
ほどなく分岐が現れました。
この区間はNHKのケーブルが埋設されているようです。
ちょっと歩くと、らくだのこぶの間のような所=峠(登山用語でコル、鞍部といいます)に出ました。ルートは手前から、右の尾根に向かっています。
すると、舗装路に出ました!カーブミラーの柱には右の矢印があります。(方向的には左だと思うんだけどな…。)9:44。
この後、10分以上舗装路をアップダウンしたのですが、方角的におかしいのでカーブミラーに戻りました。再度右に向けて歩いて行いてみます。
すると…。数分歩いた左上にへんろみちの案内板がありました!途中あれだけ判りやすい表示があったのに、ここは上級編なんかーい!でも、答え合わせと修正ができてよかったです。9:55。(おかしいなと思ったら戻るべきです‥別格3番・慈眼寺の教訓が生きました)
登ると右側から来た林道に出ます。(先ほど行き過ぎた時に、左上に登って行く道があったけどこれだったのか…)
道標は大事ですね。ここの左側の道標がなかったらこのまま行っちゃうな…。
さらに左に曲がります。
しばらく行くと次のような道を経て…。
舗装路に出たのですが、案内板がありません…。左だと思うのですが、右に行く道もあります…。どこかで間違えたのでしょうか…。(この先、送電線の鉄塔が出てきてそこからは下りとのレクチャーを受けています)10:27。
杭を見ると、四国電力の鉄塔の案内のようです。舗装路を進むとNo.49、右の未舗装路を進むとNo.50があるようです。
非常に歩きやすいです。
果たして、鉄塔は見えてきました!
坂を下りたら、窪地のようなところに着きました。10:50。
舗装路の出石寺方面は7kmの表示ですが、山道は3kmほどになります。
残りの山道を頑張りましょう!
所々、青い竿のようなものが立っています。
途中で、林道の様な道に合流しました。
右上に進むようです。
さらに登ります。
おや、お地蔵さんが並んでいるのが見えてきました。11:25。
境内に入ったのでしょうか。
階段?いや、どうやら、お地蔵さんを奉納するところで、分譲前(!?)のエリアのようです。
こちらが、分譲後(!?)です。
弘法大師がいらっしゃいます。どうやら到着したようです。11:35。
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別格7番・出石寺(しゅっせきじ)
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天気の良い日は宇和方面の山々や大洲盆地、久万高原方面が見渡せるとのことですが、修行が足りないようで、残念ながら眺望はおあずけです。この天気で水曜日にもかかわらず、家族連れ、ご夫婦などが参拝されていました。このお寺が霊験あらたかである事を物語っている様でした。
大洲に戻りましょう!
雨と霧のせいか、雨具を着ているにもかかわらず、ここ1か月で一番涼しい、いや、むしろ肌寒いくらいです。境内のベンチでおにぎりなどを食べていましたが、寒くなってきたので12:30に出発します。
帰りは道の選択を誤らないようにしましょう!次の写真はヘアピンカーブになっていますが、こんなカーブは通っていません。
正解はこのまま直進です!⇒ここは看板が無くて分かりにくいですね。このままカーブを曲がって行くと瀬田道に出るようです。
さて、送電線の鉄塔を通り過ぎ、行きに気が付かなかった看板を見つけました。正しいルートはこの右下から登って来るようです。登りのどこかでルートを右に取って舗装路を余分に歩いたようです。さて、答え合わせに行きましょう!
下ってみてそれらしい箇所が判りました。ここを右に行ったようです。ここから見ると右が明るいので、左の「遍路道」のプレートが2つあるのに見落としたようです。
そうそう、あと今回のルートで一番の急勾配のところはこちらです。ただし、ほんの数mです。⇒行きにこれを撮ろうとしたらカメラが使えなくなり、10分以上ストップしていたのでした。そういえば、その時にリスのような大きめのネズミが1m以内をチョコチョコ通り過ぎたのを撮れなかったのも残念でした!
最後にこちらの草刈りバサミを元の位置に移動させました。県道には14:30に合流しました。後は、車に気をつけて県道を辿って市街地に戻るだけです。
途中、例のゴルフ練習場でボールの回収作業をしていました。
こちらの練習場は「オアシス大洲」でした。
大洲市内をプチ観光しましょう!
大洲城が見えてきました。
15:40なので見学できますね。
さあ、到着しました。大洲城は伝統工法に基づき2004年に復元されたお城です。
やはり、城は展望が良いです。
ちなみに、バタンキュー21氏は、今日の午前中に大洲城を見学して、昼前にオズメッセ21経由で隣の内子町大瀬東「いかだや」に向かっています。こちらの宿は旧学校の敷地を利用した宿泊施設のようです。
ここで、出石寺のご利益なのか、予想もしていない再会が待っていました。27番・神峯寺以来の登場 小坂くんです!!
彼は、歩きにこだわらずマイペースで野宿を含めて遍路をしているそうです。なんか、スッキリした感じが嬉しいですね。今後の旅の無事を祈りつつ、お互い再々会の予感を口にしたのでした。
さて、お城を入場する際に「臥竜山荘」(旧別荘&庭園)のセットがあったので、せっかくなのでお願いすることにしました。昨日、通った雰囲気の良い街並みの近くです。お城を出たのが16:10で、開園時間が17:00までのなので急ぎましょう!
さて、13、4分で到着しました。
こちらは木蝋で成功した貿易商・河内寅次郎(神戸在住)が、老後の余生のために建てた別荘で、明治30年(1897年)から10年ほどかけて造られました。明治42年(1909年)に寅太郎は亡くなったので居住したのは2年ほどだったようです。
もともとは、大洲藩3代藩主・加藤泰恒が「蓬莱山が龍の臥す姿に似ている」により名付けられた展勝地で、元禄期に庭園を築いたとのことです。
入口の建物が臥竜院になります。
まず、玄関から廊下を歩いた奥の「清吹の間」です。
北向きで風通しを良くしています。欄間には四季の水にちなんだ彫刻がなされています。
その手前、玄関の脇の「霞月の間」です。
奥の「壱是の間」です。
書院座敷で、畳を上げて能舞台として使用できるように床下に壺を入れて音響効果を高めているとのことです。左側が縁側で庭園が望めます。
その隣に「知止庵」という茶室がありました。
茶室の様式どおり、屈まないと入れない入口となっています。
さて、一番奥に「不老庵」という建物がありました。
こちらは川にせり出すように建ててあります!
絶景です!
船に見立てた造りとのことで、天井が凝っています。
不老庵は個人的に心に残りました。来られて良かったです。さあ、宿に戻りましょう。
帰路の道にて…。
何の変哲もない古いポストですが、「東京ラブストーリー」のロケで使われたポストだそうです。1991年の月9ですね。見てましたー。
この「おはなはん通り」は「東京ラブストーリー」でリカと完治が二人の思い出話をしながら歩くシーンで使われたようです。さすがに1966のNHK朝ドラ「おはなはん」は知りませんが、いい所を使いましたね。
水路の鯉と竹の植木鉢がお洒落です。
また例の路地を通って帰ります。
ただいま!ご主人、「無事、出石寺に行くことができました(いくつか間違えもありましたが…)。」17:25帰還です。
そうそう、鯉で思い出しました。ときわ旅館の入口を上ったソファーの向こうは…。
このように鯉が泳いでいて…。
その上は屋根がないのです。
台風の時が大変とのことでした…。
さて、今日も素泊まりなので、明日の朝食を買いに「フジグラン」行き、途中で、夕食を食べてきました。
酢豚と唐揚げの定食をいただきます。
さて、明日は久万高原に向けて徐々に登ります。明日もがんばるぞ!
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