大山寺とは
住所‥徳島県板野郡上板町神宅字大山14-2 ☎088-694-5525
5番・地蔵寺⇒(7.6km)⇒別格1番・大山寺〔真言宗醍醐派〕⇒(8.1m)⇒7番・安楽寺
「ウィキペディアより」
寺院は大山(標高691.3m)の中腹の標高450mあたりにあり、山頂からの眺望は「徳島百景」の一つとなっている。往時は、阿波の麓からの参拝者ばかりでなく、讃岐側からは山を越えればすぐに当寺にこれたため半数は讃岐からの参拝者であったという。
寺伝によれば6世紀前後、武烈天皇・継体天皇の時代に西範僧都(せいはんぞうず)が開基した阿波国最初の仏法道場であると伝えられている。
平安時代前期、空海(弘法大師)が阿波入国した際に当地に立ち寄り、西方笹原にあった当寺を現在地に移転し、山号を仏王山、印度の須弥山にちなみ寺名を大山寺とし、伽藍の整備を行い、恵果より授かった千手観音像を本尊として安置したと言われている。
寿永3年(1184年)源義経一行は平家討伐の折、当寺に必勝祈願をし、勝利のあと三宝荒神像・初音のつつみ・愛馬薄雪を寄進したと伝えられている。
戦国時代、近隣にあった七条城の城主・七条兼仲は当山に祈願し怪力を得たとされる。そのお礼として九重の石塔と鏡餅を当山に背負い上げたと言われている。この伝説に因み、江戸時代になると徳島藩主蜂須賀家は家臣に大鏡餅を担がせ力自慢を競わせた。なお、現在でも毎年1月第3日曜日に「力餅」と呼ばれる、大鏡餅(86キログラム)を載せた三方(合計169キログラム)を抱えて歩く距離を競う行事が行われている。
昭和初期まで、大師堂の右後方に三重塔が存在していたが、山火事の延焼により失われたがその本尊の金剛界大日如来は助け出され、他の堂宇も難を逃れている。
本尊‥千手観世音菩薩(おん ばさら たらま きりく)
詠歌‥さしもぐさ たのむちかひは 大山の 松にも法の 花やさくらむ
①仁王門
②鐘楼門
③本堂
④大師堂
⑤力餅、四国三十三観音
⑥納経所、庫裏
⑦薄雪の墓と洞馬
源義経一行が平家討伐の後に寄進した愛馬薄雪の墓と銅馬が祀られている。
その他
・寺につづく道
・不動明王
・本堂奥からの境内
・上からの鐘楼門