本日のメニュー
今日は、明日38番・金剛福寺に手ぶらでピストン行動を行うため、手前約20kmの「民宿大岐の浜」に向かいます。ひたすら35km、南下します。途中、四万十川を渡り四国の最南端土佐清水市に入っていきます。まずは食事を食べてがんばりましょう!
6:30に食事に行くと、既にガスルー氏は出発したとのことです。
さあ、エネルギーの充填完了したので、ガスルー氏を追って、7:00に出発です。
歩いてすぐに、四国のみちの案内看板がありました。国道から海沿いに道があるのでそちらを通りましょう。
海辺の道を行くのかと思えば…。林の道を抜けたり…。
海辺の上川口という集落を通ったりします。
川口の由来と思われる、蜷川を渡ります。
すぐに国道に戻りました。今日は、天気も良く、昨日よりも暑くなりそうです(梅雨はどこに行ってしまったのでしょうか…)。
ちょっと普通では読めない駅が出てきました。「海の王迎駅」は「うみのおうむかええき」と読みます。由来は、鎌倉時代の元弘元年(1331年)に後醍醐天皇の幕府倒幕「元弘の乱」の際に後醍醐天皇は隠岐に流されましたが、第一皇子の尊良親王は土佐に流され、親王を迎えた地がこちらだそうです。
親王は土佐を脱出して九州で幕府打倒に貢献した後に、建武の乱で上将軍として足利尊氏との戦い、父の降伏後、越前金ヶ崎城で新田義貞の子・義顕と戦うも敗北し落命したそうです。
途中オシャレへんろ小屋もありましたが、まだ7:40なのでスルーしましょう。
10分ほど進むと良い浜に出ました。浮鞭(うきぶち)海岸というところです。google mapでは「大方浮鞭サーフポイント」となっていました。そういえば、先ほどボードを積んだ車に会いました。今日は平日ですが、朝一で波に乗りに来ている人もいるようです。
トイレに行こうと思って近づいて行くと、何とコインシャワーでした。
浜沿いに進みたいのですが、川があるので橋の方に向かいます。
錆びついていますが、隅田川に架かる中央大橋のような形状です。斜張橋というんでしたっけ…。そういえば、ドラマで大きな川に親水テラスが出てきた場合は中央大橋と永代橋の間あたりでロケしている場合が多いですね…。
ここからは公園の中を通ります。まずは、キャンプ場がありました。
野球場の横で小休止です。8:10。日差しが強いので給水しましょう。
さて、木陰を進みましょう。これが「入野松原」でしょうか。
入野松原の碑がありました。台座は"松ぼっくり"みたいです。
途中、多少民家を通りつつも20分ほどの日差しを避けた、楽しい木陰歩きができました。
進行方向が、川に阻まれているので、内陸側に曲がります。
途中、ハーフパイプのあるボードパークがありました。
黒潮町は県立の大規模公園が整備されていて、天然芝と人工芝のサッカー場、野球場、陸上競技場、体育館、テニスコート、パークゴルフ場など徒歩圏にかたまっています。
さて、この先は100m以上進んで舗装路を2回左に曲がって("コ"の字型)、写真の蛎瀬川の橋を渡るのですが、舗装路を通らずに川沿いに進めそうな感じなので、ちょっとギャンブルに出てみます。⇒暑いので少しでもショートカットしたい!右側は球技場のようです。
進んで行くと…、右側が道になっているかと思いきや‥水路です!(通れなそうだったら右に行こうと思ったのに‥)え、終点まで行って橋に出られなかったら、300m戻って、リカバーして150m先に進んでから曲がって300m⇒合計750m!それだけは避けたいな…。
さて、橋に通じているでしょうか…。
セーフ!何とか通れました!(こんなところで冒険するなよ!)
橋を渡ったところで9:00です。ちょっと休みましょう(この後、数分歩くと田野浦休憩所というところがありました…)。
この後は、四万十川の一番下流の四万十大橋を目指して進みます。休憩から30分ほど歩きましたが、このような丘のような道が待ち受けています。
この先、土佐清水方面に進みます。反対側の下田は四万十川の河口部分で、渡船が運航していれば渡ることも可能との事。
単調な景色にちょっと疲れてきました…。
県道の交差点にまた謎のキャラ発見!「カツオ人間」です。頭がブツ切りになっているのに、どっこい生きています(ど根性ガエル系?)。高知を代表するのキャラクターのとの事で、趣味がサーフィンと一本釣りらしく、仲間を釣り上げようとするとはこれまたシュールな…。
「カツオ人間」交差点を過ぎると右へ曲がり、ちょっとした上り坂。そろそろ10:00になります。
続いて、緩やかな下りです。
地図上では、そろそろ四万十市に入るようです。
暑い中、行く手の果てしない感じが、歩く気を失わせます…。
この先、四万十川を渡る前後の集落しか食事ポイントがなさそうなのでgoogle mapで当たりをつけてみます。うん、ちょっと上流側に戻るけど行ってみよう…。
はい、当たりをつけた昼食場所は、営業していないお店とすでに商売替えしてしまったお店だったようです。残念!ルートに戻りましょう!10:55。
四万十大橋手前のローソンです。ありがたい事に、日陰が「お遍路さん休憩処」になっていました。購入したものをこちらでいただきます。
さて、早めのお昼を済ませて11:20に四万十川の堤を上ります…。
四万十大橋は、四万十川と一緒に中筋川も渡ります。東京で言うと荒川と中川が平行に流れている感じ(荒川、中川の水路は人工ですが…)の箇所になります。
橋は、国道321号も渡ってしまっていたので、道標の案内どおりに、左(南)の階段を下りて行きます。ちなみにその前に、この右(北)側に郵便局があったので路銀(水戸黄門かよ)を調達しに行きました。その際にお賽銭の5円玉が少なくなっていたので20枚両替してもらいました。
国道321号は、この先峠越えが予想されます。
途中までは四万十川に沿って進みます。
やがて、内陸側に進路をとります。
ちなみに国道321号は看板にあるとおり"足摺サニーロード"の愛称があります。なぜなら、321(サニイ)だそうです。好きだなー、この名前の付け方!
前の写真の後ろに「大文字山⇒」の看板が出ていたので、さぞかし遠くの山にこの時期は「大」が分からないような景色なのかと思っていましたが…。おいおい、果樹園ような近い場所に分かりやすく「大」の字が見えてますよ!何か、チープな見世物?と思っていると、案内看板がありました。
『昔応仁の乱(1467年)の翌年、関白一条教房は京都の戦乱を避け、家領の中村に下向され、京都を模した町づくりを行った。地名をはじめ、町並みも整備し、土佐の国府として栄えさせた。大文字山の送り火は、二代目一条房家が祖父兼良、父教房の精霊を送るとともに、みやびやかな京都に対する思慕の念から始めたとされ、旧盆の十六日には、間崎地区の人々の手により伝統は受け継がれている。』(一部抜粋)
⇒そういうことなら、是非続けて下さい!12:40。
さて、津蔵淵川に沿って登って行きます。
大文字山から40分余り登って行くとトンネルの手前に今大師寺がありました。休憩がてら簡単ではありますが、お参りさせていただきます。13:25。
最高地点と思われる伊豆田トンネルです。もっと登るかと思っていましたので助かりました…。
トンネル内は暑くなくて良いかと思っていましたが、このトンネル1620mもあるので、歩いて歩いてもなかなか景色が変わらず!抜けるのに20分以上かかりました。
トンネルを抜けた所で14:00です。宿までは残り10km少々です。
途中、佐賀橘川接待所で教えてもらった「真念庵」の案内がありました。1600年代後半に生涯長きにわたって四国八十八カ所の巡礼を行い四国遍路を広く知らしめた「真念」が建立した庵があります。事前に連絡しておけば納経も行ってもらえるとの事でしたが、今回はパスします。この真念庵の方向(右側)に曲がると39番・延光寺に行くことができます(27kmほどかかるようです)。
さて、14:20でTZも近くなってきたので、日陰で行動食のポテトチップスと小夏を食べましょう。
途中、「目指せ、土佐清水ジオパーク」の看板がありました。ここもジオパーク?調べてみると2021年4月時点で「日本ジオパーク」が43地域あり、そのうち「ユネスコ世界ジオパーク」が9地域あります。室戸はユネスコ認定だったのでしっかりした施設が建てられたようです。「地球を学び、丸ごと楽しむことができる場所」にすべくがんばっているようです。
こちらの方がインパクトがありました。
だんだんと川が広くなってきます。
ようやく集落が見えてきました。河口が川の名前の集落「下ノ加江」なので近づいているようです。
下ノ加江にはローソンがあったので、暑い時の定番・ガリガリ君を購入してクールダウンしました。さて、下ノ加江の一番下流の橋を渡って、残り5km少々頑張りましょう!15:40。
この先は海岸線沿いを南下して行きます。
今日は、ひときわ海がキレイです。写真を撮ると海三昧です!
さて、今日も夕方を騙し騙し歩きました。16:45に「民宿大岐(おおき)の浜」に到着しました。
到着すると、既にガスルー氏はいらっしゃいました。と、いうか1時間以上前に着いて、宿の方の車で、足の消毒用のガーゼなどを土佐清水のドラッグショップに買い出しに行っていたそうです。足は大丈夫なのか?と思いましたが、4:00起きして35kmを歩いているので、そこはもう根性なのかと思います。⇒明け方の行動は景色が綺麗だったとのことです。
また、先客の歩き遍路の方〔コードネーム・バタンキュー21氏(BQ21氏)〕がいらっしゃいました。さいたま市から来られていて、ゴールデンウィークに歩き遍路を開始して、黒潮町まで歩いたところでやむを得ない事情で帰宅され、昨日から再開されたそうです。
あと、宿を手伝っているコードネーム・大岐のハマー氏はもともと野営系の歩き遍路の方で、結願した後、縁があって民宿大岐の浜で女将さんの1か月ほど手伝いをされていたそうです。昨日帰宅する予定が、同じ埼玉出身のBQ21氏が宿泊されるので1日延期され、明日石鎚山に寄ってから帰られるとのことです。
夕食は、女将さんがかつおのたたきを藁焼きで造ってくれました。
料理も食材からこだわって作っているのでおいしいです。コロナ禍の中、お遍路さんが4人集まったので、女将さんを交えて、今までのエピソード、お遍路あるある話などで盛り上がりました!みなさんありがとうございました。
さて、明日は足摺、金剛福寺のピストン行動です。では、また明日!
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