寺院案内

80番・國分寺(こくぶんじ)

國分寺とは

「ウィキペディアより」

高松市西部、国分台丘陵の南に立つ。讃岐国府跡推定地の東方2kmに位置し、一帯は讃岐国の中心地であり多くの遺跡が発掘されている。

現在の境内は、創建当時の国分寺の伽藍と重複している。伽藍跡は全国に残る国分寺跡の中でも保存状態が良く、国の特別史跡に指定されている。なお国分寺跡で特別史跡であるのは、当寺の他に遠江国分寺跡と常陸国分寺跡のみである。そのほか、本堂・本尊・銅鐘が国の重要文化財に指定されている。

国分寺は天平13年(741年)聖武天皇が発した国分寺建立の詔により全国六十八箇所に建立されたとされ、当寺もその頃の創建と推測される。寺伝では、行基が丈六の十一面千手観世音菩薩を本尊として開基したとされる(現存する本尊像は当時のものではないが、四国霊場の江戸期以前作の仏像で、丈六仏は善通寺の薬師如来坐像と当寺本尊のみで、しかも立像であるので四国霊場で最大の大きさである)。史実としての具体的な創建年は定かでない。

『続日本紀』には天平勝宝8年(756年)に「讃岐国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜」との記載があり、この頃に寺観が整っていたと考えられる。

明徳2年(1391年)、の文献には当寺が西大寺の末寺である旨が記されており、その他の文献から鎌倉末期までには西大寺末となっていたと推測されており現存本堂の建造も西大寺系の僧が関わっていたものと考えられる[3]。

天正の兵火により本堂と本尊と鐘楼を残しほとんどが焼失した。その後、江戸時代には讃岐高松藩主から崇敬され、63石前後の寺領寄進を受けた。

本尊‥十一面千手観世音菩薩(おん ばさら たらま きりく)

①仁王門

②本堂〔重要文化財〕

鎌倉時代後期の建立。

③大師堂

外観を撮影できませんでした。悪しからず。

④焔魔堂

⑤お迎え弁財天

⑥千体地蔵堂

⑦北向地蔵尊

⑧大日如来堂

⑨七福神

⑩延命地蔵尊

⑪春日明神

⑫縁結社

⑬成満大師・不動明王

・成満大師の左手に願かけ不動明王が鎮座。後ろが大師堂。

⑭願掛大師

⑮納経所・参拝殿

その他

・長い参道

・八十八カ所の各寺の石仏(参道脇)

・鐘楼

・稚児大師、釈迦如来(大師堂入口)

・大師堂入口前の大師‥大師がいっぱいいらっしゃる…。

・御衣木(みそぎ)‥大師が本尊を修理した際の残木。その形が龍に似ていることから福龍と呼ばれる。

-寺院案内

© 2024 ひかり たび Powered by AFFINGER5