道隆寺とは
「ウィキペディアより」
天平の頃この付近は桑園であった。寺伝によれば、和銅5年、当地の領主である和気道隆が桑の大木が夜ごと怪しい光を放ったのでその方向に矢を射ると、矢が乳母に当たり誤って殺してしまった。これを悲しんだ道隆は桑の大木を切り、薬師如来を刻んで堂に安置したのが起源であるという。道隆の子の朝祐は、大同2年(807年)唐から帰朝した空海に頼み、90cmほどの薬師如来を彫像し、その胎内に道隆の像を納め本尊とし、また、空海から受戒を受け第2世住職となって、七堂伽藍を建立し父の名から「道隆寺」と号した。 そして、第3世は空海の実弟の真雅僧正(法光大師)が継ぎ23坊を建立、第4世は円珍(智証大師)で五大明王を彫像し護摩堂を建立し、第5世の聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となり大いに栄えた。 しかし、貞元年間(976年から978年)の大地震による被害や、康平3年(1060年)の兵火や、天正の兵火による災難にあって興亡を繰り返した。
本尊‥薬師如来(おん ころころ せんだりまとうぎ そわか)
①仁王門
②本堂
③大師堂
④稚児大師
稚児大師(左)と大師堂(右後)。
⑤衛門三郎・大師像
⑥寿老人
⑦厄除け観音
⑧潜徳院殿御廟
目のお札を授けてくれる。
⑨加茂稲荷
⑩もどり観音
⑪北門
⑫多宝塔
その他
・観音お砂踏み
・参道に並ぶ観音像
・愚痴きき地蔵
・交通安全千体観音