宝寿寺とは
住所‥愛媛県西条市小松町新屋敷甲428 ☎0898-72-2210
61番・香園寺⇒(1.4km)⇒62番・宝寿寺〔高野山真言宗〕⇒(1.5km)⇒63番・吉祥寺
「ウィキペディアより」
聖武天皇の勅願によって天平年間(729年 – 748年)大国主大神の信託により大国主大神ら三神を白坪の里(現在地より約1km北に中山川があり、その北岸あたり)に奉斎したという、その際、道慈によって、その法楽所として傍らに建立され金剛宝寺と名付けられた。
大同年間(806年 – 810年)空海(弘法大師)が逗留し光明皇后を模写した十一面観世音菩薩像を刻んで本尊とし、また、この頃国司だった越智氏の夫人が難産で空海に祈念を頼み、空海は境内の玉ノ井(現存しない)の水を加持し越智夫人に与えたところ、夫人は玉のような男子を無事出産した。これに因み、寺名を宝寿寺に改め、本尊は安産の観音として信仰を集めるようになった。
1585年(天正13年)羽柴秀吉による四国攻めで荒廃した。1636年(寛永13年)宥伝上人によって当寺だけ新屋敷の現在地付近に移されて再興されたので、巡拝者は白坪の神社に札を納めた後、当寺で納経を行うこととなったが、その後の1679年(延宝7年)藩主の命により洪水を避けるために今度は神社が当寺の横に移転された。その後に残っている納経帳によると、納経は本尊名ではなく「伊豫國一宮大明神 別當寶壽寺」と書かれていた。
明治初期の廃仏毀釈によって当寺は神社と分離され廃寺となったが、大石龍遍上人によって1877年(明治10年)に神社の南隣に移し再興され、1921年(大正10年)には予讃線鉄道工事にともない、さらに南側の現在地に移転した。
本尊‥十一面観世音菩薩(おん まか きゃろにきゃ そわか)
詠歌‥さみだれのあとに出たる玉の井は 白坪なるや一宮かわ
①本堂
②大師堂
③納経所・元本堂
④一宮稲荷・厄捨て場
一宮稲荷‥「失せ物」・「合格祈願」にご利益有り。
厄捨て場‥投厄玉の穴に願いを一言云って厄石に投げて割れたら願いが叶う。
⑤安産観音
その他
・ストリートビューによる境内の様子(360度)