寺院案内

57番・栄福寺(えいふくじ)

2021年10月8日

栄福寺とは

住所‥愛媛県今治市玉川町八幡甲200 ☎0898-55-2432

56番・泰山寺⇒(3.1km)⇒57番・栄福寺〔高野山真言宗〕⇒(2.5km)⇒58番・仙遊寺

「ウィキペディアより」

寺伝によれば、弘仁年間(810年 - 824年)巡錫に来た空海(弘法大師)が、嵯峨天皇の勅願により、瀬戸内海の風波海難の平易を祈って府頭山々頂で護摩供を修し、その満願の日に海はおさまり海上に阿弥陀如来が影向した。その尊像を山頂に引き上げ堂宇を建て本尊として開基したと云われている。その後、貞観元年(859年)大和・大安寺の行教上人が宇佐八幡から京都山城に分社の男山八幡(石清水八幡宮)を創建するため近海を航行中暴風雨に遭いこの地に漂着した。上人は府頭山の山容が山城の男山に似ており、しかも阿弥陀如来は八幡菩薩の本地仏であることから、この山頂の境内に八幡明神を勧請し神仏習合の「勝岡八幡宮」を創建した。

その後、荒廃していたが、源頼義が此の国の刺史となった時に、河野親経とともに国中に薬師堂49箇所、八幡宮を8箇所を建てたが、京都の男山八幡を参考に勝岡から現在地に移し造営した当社が随一であり山内に清泉があったことから「石清水八幡宮」と号し、麓に阿弥陀堂も構えたが、中世の戦乱の災にかかり一時に煙雲にのぼりぬとなる。

真念の情報により書かれた『四国遍礼霊場記(寂本1689年刊)』によると遍路人は東から当山に上がり西に下って現在の境内前を通って次の札所(仙遊寺)へ向かっていて、東側山麓にあった浄寂寺の修行僧がその阿弥陀堂跡に遍路人の寄宿所を建て、その寺が八幡宮の催事を執り行っていた。なお、浄寂寺が催事を執行する以前は当寺が行っていて、長福寺と称したが、後に乗泉寺と称するようになり、寛政4年(1792年)に栄福寺と改称した。『四国遍礼名所図会(1800年刊)』にあるように山頂にあった堂舎を中腹の栄福寺境内に移築し現在も使われている大師堂となった。納経をになっていた当寺は江戸時代後期の納経帳によると本尊名は書かれず「伊豫一國石清水八幡宮 別當栄福寺」と記していた。

明治初年の神仏分離令で、山頂の本社八幡大菩薩に隣接していた阿弥陀堂の海中より出現したという謂れのある阿弥陀如来像と本社の前にあった金毘羅社は栄福寺境内に移され、別当関係は解消され神社と寺はそれぞれ独立し、札所は真言寺院だったため当寺が引き継いだ。昭和8年(1933年)以降は、犬に引かせた箱車で足の悪い15歳の少年がこの寺で足が治り、その箱車を奉納したという話から足腰守りのお寺としても信仰を集めている。

本尊‥阿弥陀如来(おん あみりた ていせい からうん)

詠歌‥この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏

①修行大師像

②お願い地蔵尊

③本堂

④大師堂

⑤大師像

⑥薬師堂・金毘羅堂

⑦納経所・休憩所

その他

・休憩所から鐘楼を望む(右は本堂)。

・演仏堂‥寺務所・書庫・庫裏。住職の実兄によるデザイン。

・トイレ ‥ 2012年度「グッドデザイン受」受賞。住職の兄によるモノ。

・「ボクは坊さん」2015年 チビノリダー"伊藤淳"主演映画‥当住職の随筆が原作です。

・ストリートビューによる境内の様子(360度)

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