金剛峯寺とは、奥之院とは
住所‥和歌山県伊都郡高野町高野山132 ☎0736-56-2011
金剛峯寺HPより
〔総本山金剛峯寺〕
総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指します。
普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内といいますが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。
「では、本堂はどこ?」という疑問がわいてくるでしょう。高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になります。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われます。
山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)といいます。お大師さまの徳を慕い、高野山全体を大寺(だいじ 総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた子院のことです。現在では117ヶ寺が存在し、そのうち52ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供しています。
〔奥之院〕
高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。
〔金剛峯寺〕
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。
※今回訪れたところのみ紹介します。また、じっくり訪れたいものです。
壇上伽藍
※壇上伽藍‥弘法大師が真っ先に高野山の造営に取り組んだ場所。奥之院と並ぶ二大聖地。
中門
持国天、多聞天、広目天、増長天の四天王が祀られている。天保14年(1843年)の壇上伽藍の大火事で焼失した後に跡地になっていたが、高野山開創1200年記念として平成27年(2015年)に再建された。その際、火事の難を逃れた持国天、多聞天に加えて、広目天、増長天が新造された。
金堂
天保の火災で再建された金堂は1926年(昭和元年)の火災により焼失し、昭和7年(1932年)に耐震、耐火の鉄筋コンクリート製により再建された。梁間23.8m、桁行30m、高さ23.73m。(コンクリート製には見えない重厚感…)
六角経蔵
一切経を納めるために作られた建物。壇に取っ手がついていて回す事ができる。一回転させると一切経を読んだこととなる。
大塔
根本道場のシンボルなので根本大塔と呼ばれる。1937年(昭和12年)に再建。
三鈷の松
大師の逸話の残る松。となっている。普通の松は二葉のところこちらは三葉となっており、現在は七代目。
御影堂
弘化4年(1847年)再建。空海の弟子・真如の筆とされる「弘法大師御影」が本尊。
准胝堂
本尊の准胝観音は、弘法大師が出家得度の儀式を行う際の自ら造立されたとの事。
孔雀堂
1983年(昭和58年)再建。本尊の快慶作の孔雀明王像が祀られていた(現在霊宝館に移された)。
西塔
弘法大師が構想した「法界体性塔」により根本大塔と西塔を二基一対として建立されたものとのこと。天保5年(1834年)の再建。
御社(みやしろ)
社殿は三つ、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、三宮は総社として十二王子・百二十伴神が祀られる。
山王院
御社の拝殿として建てられた。
奥之院
四国八十八カ所の納経帳を持っている方はこちらで最後の御朱印をいただく。
参道入口
奥之院遠望(この先撮影禁止)
金剛峯寺
四国別格20霊場の納経帳を持っている方はこちらでご朱印をいただく。(教王護国寺〔東寺〕が最後になる)
主殿
文久3年(1863年)再建。屋根上には雨水を貯める天水桶とよばれる桶が設置され火災に備えている。
小玄関
こちらが納経所になっている。