「みえ松阪マラソン」終了後にスタート付近の駐車場に戻りましたが、近くに松阪城跡があるので見学しに行ってみましょう。
松阪城跡
1584年に近江国の蒲生氏郷が12.3万石を与えられて伊勢国の松ヶ島城(マラソンの一番北の折り返し地点・近鉄の松ヶ崎駅から浜に向かったあたり)に入城したのですが、城下町が構成できないと判断して、1588年にこちら四五百森(よいほのもり)に城下町を建設したそうです。旧領地の近江商人を呼び寄せたことから松阪の街は発展したのですから、地元の方は蒲生氏郷、様、様ですな。この2年後の小田原討伐によって会津に移った後は、主が二度代わった後に、1619年紀州藩の藩領となって城代が置かれるようになったそうです。
城内は木々が色づいておりました。
こちらに本丸があったのでしょうか。1871年(明治4年)に廃城となった後に、1877年(明治10年)に二の丸が火事で焼失し、その後他の建物も壊されてしまったようです。
この後、城の外に出て、南側に位置する御城番屋敷に行ってみました。紀州藩の武士がこちらに住まれていたようで、各地に存在する武家屋敷とは異なり、長屋形式の造りになっていました。
1軒が公開されており、それ以外は実際に人が住んでおります。
映画版「るろうに剣心」のロケとしても使われたようです。
さて、日も落ちてきましたので、宿に向かいたいと思います。松阪駅をちょっと見学して…。右下に牛の置物がありました(アップで撮り忘れました…)。
磨洞温泉「涼風荘」
この後、津市に移動し、磨洞温泉「涼風荘」という宿にお世話になりました。
こちらでは、かつて研磨剤として砂を採掘した際にできた洞窟が名物で、洞窟座席で食事ができます。
内部は坑内と思えないほど広い空間です。
普通はこういう場所で食事はできませんよね(笑)。
マラソンで疲れましたので、早速いただきたいと思います。
美味しくいただきました。
昔は、こちらの洞窟で鉱泉が湧いていたのですが、現在は源泉から引いているとのこと(新美里温泉、白山温泉の月替わり)。何回か入浴して、足の疲れを癒しました。
「津」について
さて、午前中は「津」を巡ってから帰宅したいと思います。そもそも、「津」は古くは「安濃津(あのうつ・あのつ)と言われ、古代の三津七湊のうちの三津に数えられましたが、1498年の大地震による津波で壊滅的な被害を受け、昔の港の正確な位置は分からないそうです。有名なフレーズ「尾張名古屋は城でもつ」は伊勢音頭の歌詞で、その前の部分は「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ~」から始まるのですが、それだけ伊勢に負けず劣らず繁栄していたのでしょうね。
関東の人間からすると「津」は一音しかないので発音しにくいのですが、現地や関西の方だと「つぅ」と発音するので問題ないようなのです。なるほど、韓国の「李」さんが実際には「イー」さんと呼ぶのとは…、ちょっと違うか…。
「津」のみどころを探ってみると温泉や公園が出てきますが…他には「おやつカンパニー」…ちょっと戻らないといけないからなー。ひととおり見たところ「津城跡」「津観音」「四天王寺」などが有名どころなのでとりあえず向かってみます(何かお寺巡りのようですが…)。
津城跡
「津城跡」は「津市役所」の目と鼻の先なので市役所の駐車場に駐車して行きたいと思います。⇒観光する際に官公庁の無料駐車場(空いている前提ですが…)かショッピングモールなどがあると重宝しますね。東京なんかは1時間駐車したら1500円取られるところもありますから…。
津城は、信長の時代には弟の信包が、秀吉の時代には家臣の富田一白が治め、その後、子の富田信高の時に関ケ原の戦いで安濃津城が焼失。その後、富田信高が宇和島に転封、代わりに藤堂高虎が入城して、輪郭式に整え城下町を整備したとされます。城内には、馬に跨った藤堂高虎像がおりました。
天守は既に江戸時代初期にはなかった訳ですが、屋敷は建っていたのでしょうね。
上の写真の石垣の上からお堀を望んだところです。
その地点から復元した櫓がみられます。
お城の脇には「高山神社」があり、藩祖「藤堂高虎」を祀っておりました。
津観音(観音院)
お次は津観音ですが、海側に車で5分もかからない所にあります。
こちらは、真言宗醍醐派でご本尊は聖観音菩薩。日本三大観音の一つで、あと二つは浅草と大須です。709年に阿漕ヶ浦の漁師が網で観音様を引き上げたということですが、その81年前には同じように浅草でも引き上げられていますから、併せてお参りしてご縁があるといいですな。
ゆったり広い境内です。
阿弥陀如来と弘法大師でしょうか。
一帯の大門地区は門前町として栄えていたようなのですが、歩いてみると残念な感じです。休日にはもう少し人出があるのでしょうか。
門前正面はキレイにされているのが、逆に寂しい感じです。
四天王寺
津駅にから南に10分ほど歩いた、安濃川のほど近くに建つ曹洞宗の寺院で、聖徳太子が建立したとされています。
中にも山門があり、こちらは1642年建立のもの。
変わった感じの本堂でした。織田信長もお参りしたと言われる、三面大黒天(大黒天、毘沙門天、弁財天が一緒になっている)をお祀りしております。
こちらも変わった形だなと思ったら、合同供養のための建物で、中央に観音様がいらっしゃいました。歴史があるだけではないお寺のようです。
さて、ひと通り見たので、津駅の辺りから西側に向かって国道23号のバイパス(中勢バイパス)に向かおうと思ったら、ちょっと北側に行き過ぎて、狭い道に入ってしまいました。近くに近鉄名古屋線「江戸橋」駅がありますが、何で「江戸橋」?東京の浅草線にも「江戸橋」がありましたが1989年に「日本橋」に改称されました⇒こちらの「江戸橋」は、近くの志登茂川に架かる伊勢街道の橋で、藩主の参勤交代時にこの橋の傍まで見送りに来たのが由来だそうです。
真宗高田本山 専修寺
津駅から十数分、車で走ってきたところ、突然大きな寺院が見えて来ました!何だかスケールの大きい山門です!ちょっと行ってみましょう。
そういえば、「涼風荘」で「専修寺」というお寺の案内を見ましたが、これがそのお寺の様です。
こちらは、真宗高田本山、専修寺(せんじゅじ)でした。1469年より皇室の祈願所とされ他後、1526年に高田派の中心だった下野の専修寺が兵火により焼失したこともあり、こちらが教団の中核となり、1645年に大火事に遭うも津藩主、藤堂高次からの土地の寄進などにより1679年に再建されたという歴史があります。
実は、三重県の建築物で国宝に指定されたのは「御影堂」と「如来堂」だけなのです。伊勢神宮は国宝ではないのですね…。そういえば建物は建て替えてるか…。
左側に覆いがあるのは、東の伊勢湾からの風から守るためのようです。一般のお寺と違って本堂の前に賽銭箱などがないのです。
通りすがりで来たのですが、最後に良いものが見れました。
さて、今回の三重のマラソン旅も終わりです。帰路に着きましょう。では。
(おわり)