秋葉原が話題になったので現地に行ってみました。秋葉神社が存在していたのは「神田花岡町」ですので下の地図の点線で囲まれた部分になります。
こちらは、つくばエクスプレスが開業した2005年に新たに開発された区域で、以前はバスロータリーどころか、ヨドバシカメラの西側の道路もない、一般人が入れない貨物駅だったところなのです。花岡町近辺を歩いてみましたが、「秋葉神社」「神田花岡町」に関する情報はありませんでした。
古い観光協会の資料からは当時の「秋葉原貨物駅」の様子が伺い知れます。この駅は昭和50年(1975年)まで使用されていましたが、それ以降は閉鎖され用地の一部は東北新幹線のルートになったりして、ようやく2005年に向けて再開発がなされたのでした。
gooの「ぼくの近代建築コレクション」に貨物駅の南端、万世橋警察署の通りに面する部分の写真がありましたのでご紹介します。日通の秋葉原支店の看板が見えますが、現在はこの部分がヨドバシカメラの前の道路になっています(T字路の部分)。
そういえば、秋葉原UDXが建つ前、平成2年(1990年)までは神田青果市場がありました。子供ながらに薄暗い立体駐車場のような場所が不気味だったことを覚えています。市場で使うターレーと呼ばれる乗り物が電気街近くまで来て荷物を運んでいましたっけ。
昭和40年代までは、貨物駅、市場、電気街と熱気のある街だったんですね。現在の青果市場の一帯は秋葉原UDXと神田消防署などが建てられています。
そうそう、貨物駅や市場があったからなのか、この近辺には廃品回収業者が何店舗かあり、昔はリヤカーを借りた方が段ボールを回収しておりました。通称「バタ屋」と呼ばれており路上生活などされる方も多かったようですが、レコードからCDに代わる頃には数が少なくなり、今ではそのリヤカーも見られません(緑のリヤカーが「〇〇商会」、黄色が「××産業」など)。秋葉原もクリーンになりましたが、昔のよく行った電気店もなくなってしまい、失われたものもあり寂しいような気もします…。
秋葉原貨物駅には古くは船溜りがあって、神田川までの堀を使って水運も行っていたようです(戦後から高度成長期でしょうね)。その名残として、ヨドバシカメラの南側の公園付近橋の欄干が残されています。
道を挟んで神田川側に渡り、「書泉ブックタワー」の横の路地には、明らかに先ほどと幅の違う対の欄干がありました。
路地を出ると神田川の防災船着場になっています。以前は貨物駅からの水路はここまで伸びていました。左は昭和通りの和泉橋です。津藩の藤堂和泉守の上屋敷に向かう通りに架かることから命名されました(先日、津に行ったお話をしたのでホットな話題です!)。
和泉橋から神田川上流の景色です。新幹線が走っている手前にあまり知られていない人道橋「神田ふれあい橋」があります。
良きも悪しきも街は日々進化しているな、と感じました。
(おわり)