寺院案内

13番・大日寺(だいにちじ)

大日寺とは

住所‥徳島県徳島市一宮町西丁263 ☎088-644-0069

12番・焼山寺⇒(22.0km)⇒13番・大日寺〔真言宗大覚寺派〕⇒(2.5km)⇒14番・常楽寺

「ウィキペディアより」

寺伝によれば、弘仁6年(815年)に空海がこの付近にある「大師が森」で護摩修行をしていると大日如来が現れてこの地が霊地であるから一寺を建立せよと告げた。そこでその大日如来の姿を刻み、堂宇を建立して本尊として安置し「大日寺」と称したという。

その後、伝承では平安時代末期に、阿波一宮が神山町の上一宮大粟神社にあるのでは不便ということで当地に分詞され阿波一宮神社が造られると当寺はその別当寺となったが、南北朝時代に、当神社の東の144.3mの山の頂近くに一宮城が造られ、その城主であった一宮氏が当神社を深く崇敬し大宮司を兼ねる関係であったため、その後の天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火によって一帯がすべて焼失し一宮氏は没落したが、江戸時代初期、徳島藩3代藩主になった蜂須賀光隆も当神社を崇敬し、当神社と当寺を再建した。

また、いつの頃か、当神社が札所になると当寺は納経所として、「本尊大日如来 一宮大明神 大栗山大日寺」と記帳するようになり、一宮寺とも呼ばれるようになっていた。

明治初期の神仏分離によって、当神社の本地仏であった行基作といわれる十一面観音を当寺の本堂に本尊として移され、それまでの本尊大日如来は向かって右の厨子に秘仏の脇仏とされ、当寺は神社の別当ではなくなった。

韓国の伝統舞踊家である金昴先(キムミョウソン)は、1995年に訪日し翌年に当時の住職の大栗弘榮住職と結婚し一人息子の弘昴(こうみょう)を授かる。2007年に弘榮住職が遷化すると帰国も考えたが、息子が大人になり後を継ぐまではと、本山の大覚寺で修行をして八十八箇所霊場で唯一の外国籍住職となった。その後、弘昴は米国に渡り就学、カルフォルニアの大学に入学中に休学し高野山専修学院に一年間入学して僧侶の資格を得てのち復学し、卒業後、母親の後を継ぎ2021年7月21日大日寺第17世住職に任命された。

本尊‥十一面観世音菩薩(おん まか きゃろにきゃ そわか)

詠歌‥阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼めやこの世のちの世

①山門

②本堂

本尊を秘仏としているお寺が多い中、2014年より十一面観音が拝顔できるとのこと(今度行ったら時にお会いしましょう…)。

③大師堂

④水子地蔵他

⑤しあわせ観音

門を入って正面に位置する。合掌した手の中に観音様が入っているというユニークなデザイン。

⑥一宮神社

以前は、大日寺が一宮神社の別当寺(神社を管理するお寺)だった。

その他

・ストリートビューによる境内の様子(360度)

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