屋島寺とは
「ウィキペディアより」
律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754年)朝廷に招かれ奈良に向かう途中に当地を訪れて開創し、そののち弟子で東大寺戒壇院の恵雲がお堂を建立し屋島寺と称し初代住職になったという。ここから1kmほど北の北嶺山上に屋島寺前身とされる千間堂遺跡がある。その後の時代の古代山城屋嶋城の閉鎖に伴い、南嶺の屋嶋城本部跡地に屋島寺を創設したとされる。すなわち815年(弘仁6年)嵯峨天皇の勅願を受けた空海は、お堂を北嶺から南嶺に移し、千手観音像を安置し本尊とした。天暦年間(947年~57年)明達が四天王像と、現在の本尊となる十一面千手観音坐像を安置した。
明徳2年(1391年)の西大寺末寺帳に屋島寺と屋島普賢寺の名があり、当時は奈良・西大寺(真言律宗)の末寺であったことがわかる。高松藩主生駒一正は慶長6年(1601年)に屋島寺の寺領25石を安堵。近世を通じ、当寺は高松藩の保護下にあった。現在も国有林部分を除いて、屋島山上の敷地のほとんどは屋島寺の所有である。
江戸時代初期まで本土と離れた島であったが、寛永14年(1637年)高松藩主・生駒高俊により陸続きとなった。その後、藩主・松平頼重が旧跡を惜しんで、正保4年(1647年)本土との間に水路(相引川)が復元された。
本尊‥十一面観世音菩薩(おん ばさら たらま きりく)
①仁王門
②四天門
③本堂〔重要文化財〕
鎌倉時代の前身堂の部材を用いて元和4年(1618年)建立され、昭和32年(1957年)から古い形に復元された。
④宝物館
源平合戦の貴重な品が保管、展示されている。
⑤熊野権現
⑥蓑山明神
祭神は日本三大名狸の一つ「太三郎狸」を祀っている。道に迷った弘法大師を蓑笠をつけた老人の姿で現れて道案内したとのこと。
⑦大師堂
大師堂の外観が採れておりませんでした。悪しからず。