一宮寺とは
「ウィキペディアより」
寺伝によれば、義淵により法相宗の寺院として大宝年間(701年 – 704年)に建立され、年号にちなみ大宝院と称したと伝えられる。そして、和銅年間、諸国に一の宮が制定された際、讃岐一宮・田村神社の第一別当として行基が堂宇を改修し一宮寺と改めたという。その後大同年間(806年 – 810年)に空海(弘法大師)が伽藍を整備し、106cmの聖観世音菩薩像を刻んで安置し、真言宗に改宗した。
1584年(天正12年)の兵火により焼失するも、宥勢大徳により中興される。
延宝7年(1679年)に時の高松藩主である松平頼常によって田村神社が両部神道から唯一神道に改められたため当寺以外に12あったと云われる宮寺は廃止される。唯一存続を許された当寺は、それまで神社とは一体で同一場所にあったが、分離され現在地に移転、別当寺は解職され、本地仏であった正観音像は当寺の本尊となり、一国一宮として選ばれていた神社の四国八十八箇所83番札所は当寺が引き継いだ。 明治初期の神仏分離より200年も早く神仏の分離が行われ現在に至る。
本尊‥聖観世音菩薩(おん あろりきゃ そわか)
①仁王門
②本堂
③大師堂
④護摩堂
⑤水子地蔵尊
⑥納経所・庫裏
⑦観世菩薩
⑧薬師如来祠
地獄の釜の煮えたぎる音がする祠で、悪いことをした人が頭を入れると抜けなくなると云われている。