寺院案内

66番・雲辺寺(うんぺんじ)

2021年11月4日

雲辺寺とは

住所‥徳島県三好市池田町白地ノロウチ75 ☎0883-74-0066

65番・三角寺⇒(19.4km)⇒66番・雲辺寺〔高野山真言宗〕⇒(9.8km)⇒67番・大興寺

「ウィキペディアより」

四国八十八箇所霊場第66番札所で、所在地は徳島県(阿波)であるが霊場としては讃岐の札所として扱われ、「涅槃の道場」の始まりで、八十八箇所中で最も標高が高い位置(本堂の位置で標高900m付近)にあり、最後の「関所寺」である。夏は、紫陽花が全山一面に咲き、晩秋には紅葉の名所となり、冬はロープーウエイ利用が可能なため、雪の風景となる

寺伝によれば、789年(延暦8年)に佐伯真魚(後の空海・弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り、この地を霊山と感得し堂宇を建立したことを起源とする。空海はまた、807年(大同2年)には秘密灌頂の修法を行い、さらに818年(弘仁9年)に嵯峨天皇の勅命を受けて本尊を刻んで、七仏供養を行ったという。後に「四国高野」と呼ばれ、僧侶の修行道場となり、貞観年間(857年から877年)には清和天皇の勅願寺ともなった。

1098年(承徳2年)火災で全山消失するも、その後に鹿を追って当地に入った猟師の与成(よなり)は樹上に現れた観音菩薩の威厳にうたれ発心し堂宇の再建を果たした。 平安末期の中興の祖と云われるにふさわしい願西上人が住職のとき、現存する本尊千手観音と毘沙門天が造られた。 鎌倉時代には、阿波守護の佐々木経高(経蓮)の庇護を受け、七堂伽藍が整えられた。 1311年(応長元年)には、京都西園寺家により寺領が寄進される。 1363年(貞治2年)には足利氏より法華経真読を依頼される。

1577年(天正5年)に土佐を統一し、四国制覇を狙う土佐の戦国大名・長宗我部元親が雲辺寺を訪れ、住職の俊崇坊に四国統一の夢を語ったという。

1987年(昭和62年)には香川県観音寺市側の山麓と雲辺寺ロープウェイによって結ばれ、訪れやすい寺となった。

2019年11月10日、雲辺寺開創1230年記念でこの秋3日目で最後となる一般公開の本尊開帳が本堂背後の宝物館で行われた。なお、前回は四国霊場開創1200年(2014年)に行われている。

本尊‥千手観世音菩薩(おん ばさらたらま きりく そわか)

詠歌‥はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る

①本堂

②護摩堂

③持仏堂

④おたのみなす

茄子の形をしたブロンズの腰掛に願をかけながら腰掛けるとご利益があるとのこと。花が無駄なく実をつける事が由来になっている。

⑤水子地蔵

⑥大師堂

⑦厄除不動

⑧仁王門

⑨一言観音

⑩五百羅漢

ロープウェイ山頂駅から境内にかけて、500体もの羅漢像が並んでいる。

⑪雲辺寺ロープウェイ(山頂駅)

駅舎前に、香川県と徳島県の県境を示す表示板が埋め込んである。

⑫大師像

⑬毘沙門天

標高927mの最高地点に建ち、屋上に立てば360度見渡せる。

⑭山頂公園

2020年7月に「天空のブランコ」が整備された。

その他

・ストリートビューによる境内の様子(360度)

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