寺院案内

76番・金倉寺(こんぞうじ)

「ウィキペディアより」

入唐8家で、讃岐5大師であり、延暦寺第5代座主を868年より24年間務め、天台寺門派の宗祖である円珍(智証大師)の生誕地として知られ、また、乃木希典が1898年(明治31年)から3年間当寺の客殿を仮住まいにしており、客殿には乃木ゆかりの品々が展示され、境内には銅像もある。

774年(宝亀5年)景行天皇の子孫の和気道善(円珍の祖父)が金輪如意(如意輪観音)を祀って一堂を建立し自在王堂と呼ばれていた。 851年(仁寿元年)道善の子である和気宅成の上奏により、自在王堂を官寺とし道善寺と名付けた。その後、宅成の子である円珍が846年(承和13年)に入唐、858年(天安2年)帰朝した後、故郷の当寺に訪れて長安の青龍寺に倣した伽藍を造営、薬師如来を彫像して本尊とした。861年伽藍の造営を終え、落慶の斎会に円珍が再訪する。928年(延長6年)醍醐天皇の勅命により金倉郷(かなくらごう)から名前をとり現在の「金倉寺」、山号は釈迦十大弟子の迦葉尊者が入定した山名の「鶏足山」と改め隆盛をきわめた。

その後、幾多の兵火により重要文化財の自画像と本尊などの宝物以外は焼失、慶長11年(1606)それまで無住寺になっていたが、近くの真言寺院に後見してもらい一時期真言宗になるが、窮状を知った高松藩主の松平頼重により、天台宗に戻り再興、慶安4年(1651)には、智証大師御影堂を始め、諸堂や客殿、庫裏にいたるまで再建し現在に至る。

本尊‥薬師如来(おん ころころ せんだりまとうぎ そわか)

①仁王門

 

②本堂

1983年(昭和58年)再建。

数珠回し‥回すとバチバチと珠が落ちてくる。

音曼荼羅‥自分や家族などの干支の鐘を叩く。

③大黒天像

各所に七福神が配されているが、大黒天は金箔が施され、本堂前に祀られている。

"金"倉寺と小判を掛けた小判絵馬

④訶利帝堂

訶利帝母(鬼子母神)が祀られている。

「おかるてんさん」と呼ばれ、子授け・安産のご利益がある。

「おかるてんさん」の象徴であるざくろの絵馬。ざくろの実のように500人の子供がいたことに由来するそうです。

⑤観音堂

⑥門

駐車場側から入る際の門。上層は回廊になっている。

⑦お砂踏み

駐車場の門の横の建物から入る。八十八カ所の本尊仏画の掛け軸が飾られている。

⑧大師堂

元の金堂で慶安4年(1651)建立されたものを移築。弘法大師、智証大師、役の行者を祀っている。八十八カ所で大師堂に弘法大師以外を祀るのはこちらだけ。

⑨一太郎親子松

⑩水子地蔵

⑪鐘楼

⑫乃木将軍の松

陸軍大将は乃木希典は、明治31年(1898年)に善通寺市の旧陸軍第11師団の初代師団長となり金倉寺を宿舎としており、妻が東京から訪れた際に会わずに妻が佇んでいた松がこちらということです。「妻返しの松」とも呼ばれています。

⑬天満宮

⑭智証大師像

この寺で誕生した智証大師円珍の像。

⑮納経所

その他

・不動明王

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