三角寺とは
住所‥愛媛県四国中央市金田町三角寺甲75 ☎0896-56-3065
64番・前神寺⇒(45.0km)⇒65番・三角寺〔高野山真言宗〕⇒(19.4km)⇒66番・雲辺寺
「ウィキペディアより」
龍王山(標高465m)の中腹、標高355m辺りにあり、かつてはかなり厳しい山道を登らねばならぬ難所寺であった。さらに大師像の参拝には、背後の法皇山脈のピークの平石山(標高825m)の東尾根の地蔵峠(標高765m)を越えて行かねばならなかった。現在でも、段差の大きい73段の石段を息を切らして上り、仁王門をくぐって審判を受ける伊予の関所寺(別の寺が関所寺という説もあり)で伊予国の最後の札所である。
寺伝によれば天平年間(730年‐749年)に聖武天皇の勅願により行基が弥勒浄土を具現化しようと開基したとされる。その後、弘仁6年(815年)空海(弘法大師)が来訪した際に十一面観音を刻んで本尊とし、さらに、不動明王を刻んで三角形の護摩壇を築き21日間「降伏護摩の秘法」を施したとされる。この降伏護摩は、この地に棲む悪い龍に対し空海が農民のために水を提供するように約束させたもので[1]、この護摩壇の跡が境内にある三角の池(みすみのいけ)の中の島として現存し、寺院名の由来とされる。また、嵯峨天皇が本尊を深く信仰し、寺領300町歩を下賜し、堂塔を建造したとされ、往時は12坊を持ち、七堂伽藍を備えていたという。
天正9年(1581年)の長宗我部元親軍の兵火で本尊以外は焼失したが、寂本の四国遍礼霊場記(1689年)には、単層の本堂、弥勒堂、鎮守堂、庫裡が描かれていて復興している。現在の本堂は二層で、その後の嘉永2年(1849年)に再建されたもので、昭和46年は基礎部分の木造をコンクリートに変更し修復した。
本尊‥十一面観世音菩薩(おん まか きゃろにきゃ そわか)
詠歌‥おそろしや三つの角にもいるならば 心をまろく慈悲を念ぜよ
①山門
②本堂
③地蔵尊
④大師堂
⑤薬師堂
⑥弁財天
⑦納経所
左が納経所、右が山門
⑧休憩所
右が東屋の休憩所、左がトイレ。
その他
・庫裏
・ストリートビューによる境内の様子(360度)