太山寺とは
住所‥愛媛県松山市太山寺町1730 ☎089-978-0329
51番・石手寺⇒(11.1km)⇒52番・太山寺〔真言宗智山派〕⇒(2.7km)⇒53番・圓明寺
「ウィキペディアより」
太山寺の草創については、以下のような「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。飛鳥時代の用明2年(586年)、豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中、高浜の沖で大嵐に遭遇した。長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸した。その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音を祀った小さな草堂(現在の奥の院)があった。長者は感謝し一宇建立の大願を起する。早速、豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え、1日で高浜の港に着き夜を徹して、一夜にして建立したということである。
その後、天平11年(739年)聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され、孝謙天皇(聖武天皇の娘)が天平勝宝元年(749年)に十一面観音を勅納し七堂伽藍を現在の地に整えたと伝えられている。なお、現本尊像(重要文化財)は平安時代後期の作である。また、本堂の奥中央の厨子内に安置される十一面観音像(文化財指定なし)が孝謙天皇奉納像であると伝える。
現存の本堂(国宝)は三代目で嘉元3年(1305年)伊予国守護河野氏によって再建され、近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えた。
本尊‥十一面観世音菩薩(おん まか きゃろにきゃ そわか)
詠歌‥太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし
①一の門
②二の門(二王門)
重要文化財。本堂と同時期の1305年に建立。
③納経所
④大師像、大日如来、ひきさき地蔵等
本堂に登る石段下のエリアにそれぞれ
・大師像
・大日如来
・ひきさき地蔵
⑤観音堂
石段の下からさらに奥に進んだところに観音堂(祠)が立つ。
石段・堂の脇にはお地蔵様が並ぶ。
⑥三の門(四天王門)
入母屋造の楼門。1683年再建。(あと2体いらっしゃったのですね…)
⑦鐘楼
愛媛県の指定文化財。内部の壁面には地獄と極楽の様子が描かれている。
⑧本堂
国宝。鎌倉時代の1305年に建立。四国88カ所の中では二番目に古いといわれる本堂。入母屋造瓦葺の木造建物としては愛媛県最大級。7体の十一面観世音菩薩は歴代天皇が納めたもの。
⑨大師堂
1884年の再建。本堂より高い壇に位置し、右の長者堂、本堂裏の石仏群に続いている。
⑩長者堂
真野長者を祀っている。
⑪身代観音像
奥之院山頂に立っていた観音像で、平成13年のM6.7の地震落下するが、身代わりとなったように一般への被害が少なかった。
⑫聖徳太子堂
聖徳太子が伊予に来られ、太山寺とは縁がある。法隆寺・夢殿と同じ聖徳太子像が祀られている。
⑬稲荷堂
⑭護摩堂
⑮大師像
その他
・本堂の前の摩尼車‥一回まわすとお経一巻読んだのと同様の功徳があるといわれる。
・仏足石
・「鳥はとばねばならぬ 人は生きなければならぬ」
・「念ずれば花ひらく」
・ストリートビューによる境内の様子(360度)