鶴林寺とは
住所‥徳島県勝浦郡勝浦町大生名字鷲ヶ尾14 ☎0885-42-3020
19番・立江寺⇒(13.2km)⇒20番・鶴林寺〔高野山真言宗〕⇒(6.1km)⇒21番・太龍寺
「ウィキペディアより」
地元の人や遍路からは「お鶴さん」と呼ばれ親しまれているが、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と並び称される阿波の難所の一つで、鶴林寺山(標高516.1m)の山頂近くにあり、本堂の位置で比較すると標高495m付近で八十八箇所中7番目、表参道は「へんろころがし」といわれる急傾斜の山道である。
寺伝によれば、延暦17年(798年)に桓武天皇の勅願によって空海(弘法大師)が開創。寺伝によれば、空海がこの山で修行中に雌雄の白鶴が杉の梢で小さな金の地蔵菩薩像を守護していた。空海はそれを見て、霊木に3尺(約90cm)の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴が守っていた1寸8分の地蔵像を納めて本尊として鶴林寺の寺名を定めた。境内の雰囲気が釈迦が説法をした霊鷲山に似ていることから山号にいただいたという。
平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇からの篤い帰依、源頼朝、源義経、徳島藩祖蜂須賀家政などからの信仰も受けて大いに栄えた。
本尊の伝承として、昔、猟師が猪を追って山に入り矢を放ち、たどって行くと本堂で地蔵菩薩の胸に矢がささり血を流していた。猟師は殺生を懺悔し仏門に入ったということから矢負いの地蔵と呼ばれ、本尊にはその傷が残っていると云われている。
本尊‥地蔵菩薩(おん かかかび さんまえい そわか)
詠歌‥しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈
①仁王門
明治42年(1909年)建立。仁王像の前面に鶴像が立つ。(鶴像に気をとられ、運慶作と伝わる仁王像を撮り忘れました…)
②本堂
こちらにも一対の鶴が両脇に立つ。
③ご本尊降臨の杉、大師像
鶴が舞い降りたと伝わる杉の木。
④大師石像
⑤延命地蔵
⑥三重塔
文政2年(1823年)建立。
⑦地蔵菩薩
⑧忠霊塔、不動像
⑨六角堂
⑩大師堂
⑪納経所、方丈
その他
・六角堂から先の仏像等①
・六角堂から先の仏像等②
・本堂までの石段
・ストリートビューによる本堂前の様子(360度)