神野寺とは
「ウィキペディアより」
伝承によれば、平安時代前期の弘仁12年(821年)空海(弘法大師)が嵯峨天皇の勅命により満濃池の修復を行ったさい、池の守護として建立したという。なお、空海が護摩法を修したと言われている満濃池の中にある場所は護摩壇岩と呼ばれていて、三か月で修復したと言われる。
中世に入ると、寺は当地の豪族であった矢原氏の保護を受けて隆盛するが1581年(天正9年)、戦国大名の長宗我部元親が矢原氏を攻めたさいの兵火に遭って全焼し(天正9年には既に香川氏は長曾我部の配下にあり、長曾我部が改めて当寺を焼く理由が不明なため真偽は定かではない。この土地はその前の三好と香川・毛利連合軍の戦いの場にも近く、一概に長曾我部が焼いたとは言えない)、長い間廃寺となっていた。なお、当時の本尊であった聖観音立像は近隣の恵光寺に運び出されて祀られたという。
1932年(昭和7年)上里法照を中心に満濃大師会が結成された。空海入定1100年祭の事業として満濃大師会により神野寺の復興が計画され、1934年(昭和9年)に伽藍が完成した。のち、1955年(昭和30年)に満濃池堤防第3次かさ上げ工事が行われることとなり、本堂が現在地に移築された。
2019年10月16日満濃池が国の名勝に指定される。
本尊‥薬師如来(おん ころころ せんだりまとうぎ そわか)
①石柱
②本堂
③不動明王
④水子地蔵
⑤十二支本尊
⑥大師像
その他
昭和天皇行幸碑
境内からの満濃池