寺院案内

別格15番・箸蔵寺(はしくらじ)

「ウィキペディアより」

箸蔵山(標高719.8m)から東南へ延びる尾根のピーク(標高633m)である宝珠山(ほうしゅざん)の南山腹にある。

明治初年の神仏分離令以前、香川県仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮が、象頭山金毘羅大権現と称し松尾寺金光院が別当だったころ、当寺の方は、こんぴら奥の院と称し、現在でもそのように云われている。讃岐の金毘羅さんは神社となっているが、当寺は神仏習合の風習を色濃く残す寺院である。そのため、本殿の参拝方法は拍手による参拝者と納経をする参拝者に分かれるが、どちらも問題はない。

山麓から方丈脇まで箸蔵山ロープウェイが通じているが、境内には階段が多く、金刀比羅宮が本宮まで785段あるにはわずかに及ばないものの、山門前より本殿まで769段ある。なお、方丈より本殿までは278段あるということで般若心経の文字が一文字ずつ付けられ「般若心経昇経段」と名付けられている。 箸蔵山県立自然公園の中に位置し、桜や紅葉等の名所として有名であるが、それ以外に拝むことに真剣に取り組む密教寺院としての側面もある。開山以来、毎日朝夕(6:30と18:00)欠かさず金毘羅大権現のもと護摩殿で護摩祈祷が行われる。変わらず継続することが一番難しいことであるが成し遂げられている。また、赤ちゃんのお箸初め(お食い初め)の箸でも知られている。なお、毎年8月4日には箸供養で、柴灯大護摩や火渡りが行われる。また、節分の星供養は古来よりの伝統を守り、節の分かれ目を大切にして午前0時をまたいで行われる。深夜にもかかわらず多くの参拝者があり、全国より申し込まれた数千のお札、御守りが祈念されている。

伝承によれば平安時代前期の天長5年(828年)四国巡錫中の空海(弘法大師)が、当地に霊気を感じ山上に登った。すると金毘羅大権現が現れ「箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん」というお告げを空海に授けたという。そこで、空海は自ら金毘羅大権現の像を刻み堂宇を建立したことが当寺院の始まりと伝えられている。 また、金毘羅大権現は当山から讃州象頭山へ日夜眷属と共に往来しているとも云われていた。

寛文7年(1677年)の火災により多くの資料が失われ、明和6年(1769年)に、高野山の霊瑞によって、由緒がまとめられている。さらに、文政9年(1826年)の火災によりまた伽藍の大半を焼失し、現在見られる建造物は概ねこれ以後、江戸時代末期に建立されたものである。

平安の昔から阿波の山岳修行者の道場として発展してきたが、江戸時代後期以降、讃岐の金毘羅さんの隆盛とともに、こんぴらさんの奥社の箸蔵として、金比羅・箸蔵両参りで効能は倍増とし隆盛した。

天狗の箸運び伝説:地元で語り継がれており、箸蔵山に棲む天狗が讃州象頭山金毘羅大権現のお祭りの時に使われたお膳の箸をその晩のうちに当山に運び納めたという。

本尊‥金毘羅大権現(おん くびらや そわか)

①納経所・本坊(重要文化財)

②護摩殿(重要文化財)

文久元年(1861年)頃の建立 外陣・内陣・奥殿の三重構造で本堂より一回り小さい

③ぼけ封じ観音

④鐘楼(重要文化財)

⑤大師像

⑥薬師堂(重要文化財)

⑦観音堂(県指定有形文化財)

⑧本堂(重要文化財)

江戸時代末期建立 手前から奥へ、外陣・内陣・奥殿の3部分からなる複合建築

⑨神馬

⑩五台力尊

⑪十三重塔

⑫御影堂(大師堂)

⑬天神社(重要文化財)

⑭仁王門(登録有形文化財)

⑮高灯篭(登録有形文化財)

その他

・護摩堂前・成りきり本尊展望壇

・展望壇からの眺め‥奥の灯篭は、江戸時代末、七代目の團十郎の寄進したもの

・般若心経昇経段‥278段の一段ごとに文字が振られている

・鞘橋‥護摩堂前の石段を下りた所に架かっている

・鳥居‥鞘橋から仁王門の間の緩い坂の参道に建っている

・箸蔵山ロープウェイ‥15分おきに運行 日本初のダブルループモノケーブル、フニテル方式により風に強い構造

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