寺院案内

別格7番・出石寺(しゅっせきじ)

2021年9月9日

出石寺とは

住所‥愛媛県大洲市豊茂乙1 ☎0893-57-0011

43番・明石寺⇒(29.5km)⇒別格7番・出石寺〔真言宗御室派〕⇒(15.5km)⇒別格8番・十夜ヶ橋

「ウィキペディアより」

山号を冠して「金山出石寺」と呼ばれる。また地元では親しみを込めて「おいずし」と呼ばれる。

出石寺は出石山(いずしやま 812m)の山上に伽藍が広がる。山上からは宇和方面の山々や大洲盆地、久万高原方面が見渡せる。

寺伝によれば、奈良時代初期の養老2年(718年)6月18日に宇和島郷の猟師・作右衛門が鹿を追いかけて、この山に分け入った。すると鹿は消えて暗雲が垂れ込め山中に地鳴りが響き渡った。そして鹿が消えた場所の岩が割け、そこから金色に輝く千手観音と地蔵菩薩が姿を現したという。その光景を目の当たりにした作右衛門は殺生を生業とする猟師という職業を悔い改め仏門に帰依し名を道教と改めた。そして、この仏像を本尊として、この地に堂宇を建立し出石寺と称したという。

平安時代前期、この地で空海(弘法大師)が冬期に雪中修行を行ったとの伝説がある。また、後の世に本尊が粗末にされ、それによって冥罰を受ける者が出てはいけないと本尊を石で囲い密封し秘仏としたと云われる。

開山当初の山号は雲峰山と称していたが、この山に鉱山があることから空海が金山と改めたという。なお山の北側には硫化銅石の鉱山跡があり、三菱鉱業が明治43年(1910年)から昭和20年(1945年)頃まで採掘を行っていた。

昭和16年(1941年)大火に見舞われ伽藍が焼失した。昭和31年(1956年)に復興した。

開山1300年祭の「いづしまつり」が平成29年10月8日催され、その日より17日まで、50年に一度の本尊開帳が行われた。本尊は厳格な秘仏で、頂上に立つ本堂床下にある石室内にあり地下からの湧出岩とされてた。なお、本堂内陣の中央にある厨子内の千手観音立像(地蔵菩薩はその胎内仏)は前立仏であり毎年1月3日に開帳される。

本尊‥千手観世音菩薩 (おん ばざらたらま きりく そわか)

詠歌‥くもりなき二名の島の金山に みのりの光かがやくを見よ

①大師像

大きな大師像の左には熊野権現が祀られている。

②神馬

お腹の「蛇の目」は大洲藩加藤氏の家紋で、大洲市の市章として受け継がれている。

③仁王門

仁王門にして鐘楼門。

④護摩堂

唐破風向拝に戦国武将・藤堂高虎が朝鮮から持ち帰った銅鐘(重要文化財)が吊られている。(残念ながらアップの写真はありません)

⑤本坊・納経所

⑥大師堂

⑦本堂

⑧寿楽観音像等

⑨鹿像(御手びきの鹿)

猟師・作右衛門は鹿を追ってこの山に迷い込んだところ、天地鳴動して光明が輝き鹿は見えなくなり、鹿の立っていた足許の岩が割れ千手観音が現れたといういわれによるもの。作右衛門は仏門に入り、名を道教と改めて仏像傍に庵をかまえて一生を過ごしたとのこと。

⑩牛像

⑪復興塔

その他

・大師堂の階層から本堂に続く石段

・仁王門脇の「ひとこと」と「名コンビ」

・仁王門に続く石段

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